2年間、どんな生活を送っていましたか?
――その後、NHK紅白歌合戦に出場するなど、またたく間に国民的アイドルになって、本当に破竹の勢いでした。2年間、どんな生活を送っていましたか。
市井 1年に4枚シングルを出してツアーを組むような感じだったので、学校にはほとんど行けなかったです。1日で北海道から関西まで何箇所かをはしごして回るプロモーションをしたこともありましたが、最後は自分がどこにいるのかわからなくなっていました。
――メンバーをまとめていたのは当時唯一の20代で初代リーダーの中澤裕子さんですか。
市井 裕ちゃんは私の10個上で社会経験があったので、基本的な挨拶や、どうやって仕事というものが成り立っているのかその都度、リーダーとして教えてくれました。
――14歳から見た24歳って、かなり大人ですよね。
市井 そうですね、14歳の私から見たら裕ちゃんは大人ですし、怖かったです。でも、裕ちゃんがどれほどのプレッシャーの中でリーダーとして立ってくれていたのか、今ならすごくよくわかります。厳しく指導してくれたことに対して、感謝しかありません。
本当に毎日家族以上に一緒にいたので自然とチームとして形成されていったし、一つの作品に誰一人として抜けてはいけないという気持ちがどんどん生まれていったような気がします。
「モーニング娘。がどんなグループだったか」がわかったのは10年くらい後だった
――「チームになってきた!」みたいな実感を持ったのはいつ頃ですか。
市井 やっぱりコンサートですね。47都道府県をツアーで回って直接お客さんの顔を見てライブができたり握手会があったりとか、ファンの方と触れ合う機会が一番、メンバーの結束力を高めます。
オーディエンスの盛り上がりと共に、小さいライブハウスからどんどん規模が大きくなっていって、武道館までになって。そうした成長を目の当たりにすると、自分たちのグループにプライドが持てますし、プロ意識も高まっていくんです。