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――オリジナルメンバーの皆さんが作った文化は今のモーニング娘。の中にも息づいていますよね。

市井 それはあると思います。周りで支えてくれるマネージャーやスタッフの存在は特に大きくて、挨拶は本当にみっちり教えこまれたし、分からないことは自分から聞きに行って、自分自身でどんどんアップデートしていく姿勢を学びました。

 今でもそこは変わらないと思いますし、ハロー!(プロジェクト)の強みなのかなと思います。25年もずっと魅力的なのは、そういった“土台”がしっかりしているからではないかな、と見ていて感じますね。

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――市井さんたちの頃、国民的グループのまさに“礎”が築かれたわけですね。

市井 自分たちがいかに有名で人気があって、みたいなことは当時はよくわかっていませんでした。渦中にいたので、とにかく敷かれたレールの上をひたすら走っていた感じです。

 作品を送り出すものとしてちゃんとしたお仕事をしなくちゃ、という意識は芽生えたものの、モーニング娘。がどんなグループだったか俯瞰してみられるようになったのは10年くらい後だったと思います。

脱退後の“勤め人”生活…履歴書を送った採用担当者から「ご本人ですか?」

――市井さんはその後30歳までに離婚・再婚を経験し、3人の子持ちとなります。脱退の経緯は。

市井 やり切った感がありました。まだ若かったので、友だちとディズニーランドに行ったり学校帰りに遊んでみたかった。普通の生活を送りたかったんです。

 その後結婚して、薬局で働いたりと社会経験もしたことで、「私はすごい場所にいたんだな」と、ようやく俯瞰して見られるようになりました。

――市井さん、薬局で働かれた経験があるんですね。マツキヨみたいなところですか。

市井 チェーン店ではないですけど、そういうドラッグストアですね。前の夫と結婚していたとき、当時2人の子育てをしていくには金銭的に不安だったので、自分も働こうと思ったんです。

 

 地元のららぽーとでレディースのアパレルの仕事もしましたね。そこにはお客さんを装って週刊誌の記者がきちゃいましたけど、おじさん記者だったのですぐに分かりました(笑)。

 こういう感じで、普通に履歴書を送って面接なんかもして、いろんなところで働きましたよ。