「このレコード、よく持ってたねぇ」
その後、スタッフ側の選曲リストについて意見交換し、大島さんの個人応援歌『熱血大島ぶちかませ』を抜かりなく選曲に加えた。が、大島さんがドラゴンズの主力選手たちと揃ってコーラス参加している球団歌『勝利の叫び』は、水木一郎さんが生歌で歌われるのでレコード音源のオンエアは見送られた(大島さん参加ver.は後年、13年にオンエア)。局に貸し出したアナログ音源をオンエア用にデジタルデータ化する作業などあれやこれやとしているうちに、あっという間に放送当日を迎える。
12年1月9日の朝、NHK福岡放送局に到着。この日はスタジオではなく、観客席のあるホールで観覧希望者を入れての公開放送。“有観客試合”である。
すぐに大島さんの控室へご挨拶に伺ったのだが、これがこの日で一番緊張した場面だ。私がプロ野球に興味を持った子どもの頃には既に一軍でバリバリ活躍していた人であり、何よりもファイターズの東京ドーム時代、主力として選手を牽引、監督として指揮を執った時期に何度も球場に足を運んで「オオシマー!」と声を嗄らして声援を送った、そのご当人と初対面の挨拶なのだから、緊張しない方がおかしいだろう。
それだけではない。1年前に文春野球ファイターズえのきど監督がアップしたコラムにもある通り、大島さんが“瞬間湯沸かし器”であることを知っている。えのきど監督のコラム内に書かれたラジオ番組もオンタイムで聴いていたし、監督初年度の6月20日、千葉ロッテマリーンズ戦で大塚明選手のレフトポール際の打球をホームランと判定されたことに20分以上の猛抗議、遅延行為とみなされ退場処分を受けた試合も現地で観ている(その試合後、急性胃炎で救急搬送されたのは後に知った)。下手な挨拶をして、怒らせてしまったら、今日これからの約10時間は大変なことになる。小心者の私は、真冬なのに手に汗を握りながら控室の扉をノックし、自分はこれこれこのような者であると自己紹介した。
「初めまして、大島です。(私のファイターズユニの姿を見て)おっ、ファイターズファンなの? いやー、今回は長時間の音楽番組でしょ。私、そんなの経験がないから勝手がわからなくて。ひとつ、今日はよろしくお願いします!」
大島さんは実に気さくに迎えてくれたのである。そしてその場で「自分は音楽番組は門外漢だから、あなたたちでうまい具合にリードしてもらいたい」という趣旨の言葉をかけられた。大島さんも不慣れな場は不安なのだ。これにより私の緊張も一気に解け、約10時間の長丁場を乗り切ることができた。
デジタル化した音源の音飛びや、トークが押してしまい予定の楽曲がかけられなかったなどのトラブルはあったものの、番組も無事終了。放送中の現場で『熱血大島ぶちかませ』が流れた時、大島さんがオフマイクで「このレコード、よく持ってたねぇ。妻と知り合ったのはドラゴンズ時代の後半だったから、私が若い頃、こんな風に応援歌が発売されるほどの人気者だったってことを知らないんだよ。嬉しいなぁ」としみじみ語ったのが印象に残っている。
「ヘンなレコードをいっぱい持っているヘンな二人組がまたやってきた」
番組終了後の打ち上げでは「長嶋茂雄引退試合」、「宇野勝ヘディング事件」、「審判は石ころ事件」、「ブライアントスピーカー直撃弾」のお話を聴かせてもらった。大島さんは球史に残る数多くの珍事件の現場に、観客ではなくプレイヤーとして関わっている。当事者ならではの話に、大いに盛り上がった。
初回の『今日は一日“プロ野球ソング”三昧』は幸いにも好評を博し、翌13年、1年置いて15・16年と計4回放送された。ますだおかだのご両人は、13・15年はどちらかが事前収録パートでの出演だったため、生出演で皆勤したのは大島さんと“音球”コンビだけだ。
ファイターズ時代の大島さんの関連楽曲として、監督就任2年目の01年発売の『熱血ファイターズの歌』と、翌02年発売の『熱血ファイターズの歌2002』がある。『燃えよドラゴンズ!』作者の山本正之が、ドラゴンズOBである大島さんのファイターズ監督就任に寄せて制作したといわれる“日本ハムファイターズ球団公認応援歌”だ。歌詞に登場する選手名が年度によって変わるなど、『燃えよドラゴンズ!』を踏襲したこの楽曲、13年5月6日の放送で『熱血ファイターズの歌2002』、15年2月11日の放送では『熱血ファイターズの歌』と『ニチハムちゃちゃちゃ』がオンエアされた。
“日本ハムファイターズ球団公認応援歌”として2年続けて発売されながら、本拠地の東京ドームでは流されず、コアなファンにのみその存在が知られている『熱血ファイターズの歌』。大島さんは「こういう曲があったんだぁ」と感想を述べたのだった。
4回の共演を通じて、“野球選手の歌モノ”、例えば小林繁『カリフォルニア・コネクション』や槙原寛己『恋人も濡れる街角』をかけると、大島さんが「へぇー、あの人こんな曲歌ってるの!?」といちいち感心してくれるのが面白くて「そうなんです。今回はかけないですけど、この人はこんな曲も歌ってて……」と伝えると「それは今度、ぜひ聴いてみたいね!」と答えてくれた。冒頭の16年2月11日、4回目の番組開始前の挨拶は、“音球”コンビを「ヘンなレコードをいっぱい持っているヘンな二人組がまたやってきた」と認識されての言葉だったのである。
番組では、途中、夕方の時間帯に事前収録分を流すコーナーがあり、その間は生放送出演者の休憩タイムとなる。16年の休憩時、「もしもレコーディングの依頼が来たら引き受けますか?」と大島さんに訊ねてみた。「もしそんな依頼があっても僕は受けないだろうなぁ」と即答した。引き受けない理由を訊こうとしたら休憩時間が終わってしまい、続きは訊けずじまい。また次の機会があれば訊いてみようと思ったが、この番組に5回目は無かった。
4回目の放送から1年後。ご自身の公式ブログで公表した病気のこと、手術のことはショックだった。しかしその後、家族のことや愛犬・祭ちゃんのこと、野球界のことについて以前と変わらぬペースで更新されるブログを読んでいて、ブログにコメントしたりするのは控えようと決めた。大島さんの中で、“音球”コンビの印象は「ヘンなレコードばかり集めていて、『今日は一日“プロ野球ソング”三昧』の時にだけ出会うヘンなヤツら」なのだろうから、私も以前の通り、また番組が企画されて顔を合わせたらその時にお話しできればいいと思ったのだ。
今年の6月30日。大島康徳さんがこの世を去って1年。大島さん、我々は相変わらずヘンなレコードを集めていますよ。もしよかったら聴いてください。
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