そして3月、小咲さん母娘が最大のショックを受ける出来事が起きる。小咲さんの母親は、声を詰まらせてその“衝撃の1日”を振り返る。
「今年の3月に、夫の1周忌がありました。夫が亡くなった頃はコロナ禍で寂しい葬儀だったため、『1周忌はしっかりやりたい』というのが家族の願いでした。娘も1カ月くらい前から、1周忌の当日とその前日を休みたいとマネージャーに伝えていて、事務所も一度は『わかった』と納得してくれました。しかし前日は結局仕事が入り、しかも終わったのは深夜。娘は1周忌の当日に朝イチの新幹線でなんとか東京から京都に戻ってきたものの、まともに親族と話すこともできなかったんです。様子も明らかにおかしく、活動を休むように言っても『東京に帰らないと……』とブツブツ言うばかり。私と娘の両方に小口社長から『親の死に目にあえない、こんなことは日常茶飯事です』などのLINEが届いていました」
父親の1周忌の法要を終えると、小咲さんはその日のうちに東京に戻った。しかし翌日、小咲さんはどうしても仕事のために家を出ることができなかったという。「どうしたらいいかわからなくなってしまいました。もう限界でした……」(小咲さん)
「辞めるには数百万円の大金を払うか飛ぶしかない」
小咲さんのスマホには事務所から通話やLINEが何度も届いたが、小咲さんは電源を切り、スタッフに見つからないようにアイドルの友人の家を転々とした。“逃走生活”を始めて1週間がたった3月17日、グループの公式ツイッターで小咲さんの脱退が発表された。
「フリーク内のアイドルには“飛んだ”子が複数いて、その子たちも私と似たような状況でした。『辞めたい』と半年言い続けても辞められず、金銭を請求されて悩んでいました。先輩たちも『ここ(フリーク)は綺麗に辞められない』『辞めるには数百万円の大金を払うか飛ぶしかない』『●●ちゃんは1000万以上の損害賠償をされた』と言っていました。スマホの電源を切って逃げて、公式ツイッターの脱退発表を見た時は『クビになった、やっと辞められた』と少しほっとしました……」
しかしフリークと小口氏は、小咲さんの退所を認めたわけではなかった。アイドル活動を辞めて1カ月ほどが経ち、徐々に体調が落ち着いてきた小咲さんは、友人に誘われてとあるグラビア撮影イベントに参加することにしたという。
しかし小咲さんが撮影衣装のフィッティング会場に向かうとイベントスタッフに呼び止められ、隣にあるビルに案内された。エレベーターのドアが開くとそこには小口氏とフリークのスタッフが待ち受けていた。