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「優木まおみ」を知ってもらう最後のチャンス

優木 悩みはしましたが、「優木まおみ」をより多くの人に知ってもらう最後のチャンスかもしれない、と思いました。そしてこの道で成功したら、その先で自分のやりたいことができるかもしれない。そう思って、覚悟を決めて飛び込みました。

――すぐにグラビアアイドルとして大ブレイクしましたよね。ファースト写真集『マオミノユウキ』が大ヒットしました。

優木 そこから2年くらいはひたすらグラビアの撮影。1カ月に何回も海外に行って、目まぐるしい日々でした。そのうち、グラビアタレントとしてバラエティー番組に呼ばれるようになり、テレビの仕事も忙しくなってきました。今まで画面の中で見ていた方と共演することが増え、「出てみたい」とリストアップしていた人気番組にほぼ出た時、「私、芸能人になったのかも」と思いましたね。

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©文藝春秋

――当時の優木さんのキャッチフレーズは「エロかしこい」でしたね。

優木 週刊誌の編集者の方が、倖田來未さんの「エロかっこいい」のキャッチフレーズにあやかってつけてくれました。私は自分にこれといった個性がないことがコンプレックスだったので、自分のフックになるキャッチフレーズをつけていただいたことがありがたくて。と同時にせっかくのキャッチコピーをもっと活かさないと、とも思いました。賢さが際立った方がよりグラビアの「エロ」とのギャップが出るだろうと、必死で雑学を勉強したり……。その頃はこの道で売れたいという思いが強かったから、真面目に「エロかしこく」あろうとしていました(笑)。

多忙とストレスで“邪おみ”に支配された20代

――当時はバラエティー番組にグラビアタレントがたくさん出演していました。やはり競争も激しかったですか?

優木 そうですね。番組に出れる、出られない。オーディションに受かる、受からないと結果がハッキリと出てしまう世界なので、輝いている人を見て羨ましいと思ったり、どうせ自分は……みたいに妬ましく思ったり。そういう嫌な自分が出ちゃうことへの葛藤はずーっとありました。そんな自分を“邪おみ”って私は呼んでます(笑)。 “邪”な部分がないっていう人は嘘くさいなって思っちゃう(笑)。

©文藝春秋

――ストレスフルな日々だったんですね。

優木 20代で一番つらかったのはこの時期でしたね。寝る時間もないくらい忙しかったことも、心が落ち込む原因になっていたのかな。誕生日に深夜2時くらいまで働いて、私何してるんだろうって泣いたこともあります。あの頃の自分のことは……、好きじゃないですね。自分のことを嫌いな時って、他人のことも嫌いになってしまう。マネージャーさんや、当時付き合っていた人、親……いろんな人に感情をぶつけて困らせて。そうやって壊れてしまった関係もあります。