優木 こんな忙しくてストレスもたまる生活を続けてるけど、私の本当にやりたいことはできてるんだろうか。このまま忙殺されるまま、歳を重ねてしまうんじゃないか。そう思っていた時に、爆笑問題の田中裕二さんからもらった言葉が今でも心に残っています。
「やりたいことができるまで売れればいい」
――『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』(日本テレビ系)に第二秘書として出演されていました。
優木 田中さんからは「あるボーダーを超えちゃえば、自分のやりたいことができるようになるよ。そのボーダーを超えられるように、今は将来の不安のことは忘れて、やれることを精一杯やってみたら?」「周りが気を遣ってやりたいことをやらせてくれるようになるまで売れたらいいんだよ!」って。
その言葉がすごく刺さって、気持ちが吹っ切れました。やれるだけやってみようと思って必死で頑張って。30歳くらいになった時、ふと気が付くと司会やコメンテーターなどやってみたいと思っていた仕事が舞い込むようになってきたんです。
――巡り巡って、自分のやりたい仕事ができるようになったんですね。実際にやってみて、どうでしたか?
優木 それが実際にやってみたら、「これが自分の一番好きだったことか?」というのがよくわからなかったんです。22歳で事務所に入って8年くらい芸能活動をする中で、グラビアタレントとしてのプライドや「アナウンサーさんとは私は違う!」という気持ちが芽生えていたんですね。私は「アナウンサー試験に落ちたからこの仕事をしてるわけじゃないんだ」って、ポジティブな気持ちが持てるようになっていた。
これまでの自分に向き合えるようになるまで、10年くらいかかったのかな。人生って、成功ばかりじゃなくてずっと迷いですよね。
撮影=佐藤亘
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