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21年間ずっと岸家の生活を撮影し続けたドキュメンタリー

――大家族のドキュメンタリーが映画化ということで話題になりました。お2人の率直な思いをお聞きしたいです。

信子 私が10人目を妊娠する前くらいに熊本県民テレビさんから「取材をさせてほしい」と声をかけていただいて。それから21年間ずっとそばにいてくれて、私たちの生活を撮影してくださったんですけど、それが一つの映画として公開されたのはとても嬉しかったですね。

 でも、私たちが見る分には家族の思い出なのでおもしろいですけど、他の人にとってはどうなのかなって不安な部分もありました。

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試写会の様子

英治 何も飾らないただの日常ですからね。でもそんな日々をおもしろいと言って見てくださる方には感謝しかないです。

――城戸監督はいかがでしたか。

城戸 岸さん家族の人柄に惚れて、ずっと撮影させてもらってきたので、映画になったことは素直に嬉しいです。よく「大家族モノ」と一括りにされるんですが、たまたま岸さん夫婦にたくさんのお子さんが生まれただけだと思うんです。そんな岸家のいろんな場面に立ち会えたのは本当に感慨深いですね。

 子どもが巣立ち、家が全焼し、信子さんが脳梗塞で倒れ、初孫が生まれる。家族にとって大変なこともありましたけど、みなさんいつも前を向いてるんです。火事で家が全焼した時も信子さんが笑って「本当に大事なものは全部無事だった」と言ったシーンは今でも忘れられません。

いつも通りの日常を見せてくれるので、ありのままを撮っていた

――家族の密着取材ですと、思春期のお子さんもいたりで、難しいこともあると聞きますが、ディレクターとして判断に悩んだことはありましたか。

城戸 ほとんどないと思います。私を含め、延べ10人以上のディレクターが岸さんの取材に携わってきましたが、信子さんから「撮らないで」とか「取材に来ないで」と言われたことは一度もなくて。ドキュメンタリーなので台本はないですし、ありのまま撮ることを心がけていたので、撮影自体に悩んだことはなかったですね。

ディレクターの城戸涼子さん

 でも、20代で岸家に初めて会った時は、無意識に信子さんと英治さんに“大家族の母親と父親の役割”を担わせていた気がします。でも、40代で再び撮り始めたときには、岸家の子どもたちの多くは独立していて、大家族ではなくなっていたんですよね。その時から、大家族という先入観を一切持たずに、起きたことをそのまま撮影することを心がけています。そして何より信子さんや英治さんも飾らずに、いつも通りの日常を見せてくれるので、21年続いたのかなって思っています。

信子 私たちはあまり撮られているという意識がないんです。ホームビデオを回しているような感覚で、「今度子どもの文化祭があります」と言うと、「では撮りに行ってもいいですか?」って感じで。嫌だなって思ったこともなくて、逆に記録してくれてありがたいと思っています。