一方で、たしかに一面ばかりが注目されすぎているきらいもある。
鬼怒川温泉の廃墟群に行ったことを自慢したいがために、廃墟の部分だけを写真におさめてSNSにアップする旅行者もいるだろう。コロナで旅行客が少ないことをいいことに、人気のない観光地を撮影して、あたかも街全体が廃れているような写真をアップするのは、いわゆるSNSの写真を“盛る”という行為に近いのかもしれない。
“演出すること”をことさらに責め立てるつもりはないが、実際に現地まで足を運んだ私の個人的な感想としては、「鬼怒川温泉=廃墟」というのは風評被害の面が大きいように思われた。
当時を知る人物は、何を語るのか
ただ、一部とはいえ、鬼怒川温泉に廃墟群があるのは事実である。立地面の解体しづらさもさることながら、とりわけ問題をややこしくしているのは、権利関係が複雑になったまま、当事者たちの行方が知れないケースがあることだ。
地元の人たちに対して多大なる迷惑をかけており、地元愛が少しでも残っていれば、倒産する前に誰かに売るなり、更地にするなりして、経営者として後始末をするべきではなかったのか――。
当時の事情を知る人物を辿るうち、バブル絶頂期のホテル経営の実情を知る人物を取材することが出来た。鬼怒川温泉で古くからホテルを営む「鬼怒川パークホテルズ」の小野吉正会長である。
当時のことを尋ねた私に、小野会長は回想するように語り始めた。
「ホテル経営の場合、社長や従業員の手腕だけでなく、立地だったり、食事だったり、温泉だったり、さまざまな要素が絡み合うことで、経営状態が大きく変わってしまうところがあるんです。
景気のいい時は、その点が大きな差として表れていなかったんですが、景気が悪くなり、宿泊客が減っていくと、その総合力の差が少しずつ開いていって、経営が続けられるホテルと、そうでないホテルに分かれてしまったんです」
バブルがはじけ、業界を取り巻くトレンドが変化。鬼怒川温泉は…
当時、銀行も旅行代理店も急増する団体客に対して“イケイケドンドン”の状態で、ホテルの経営者もその勢いに乗じて部屋数を次々に増やしていった。