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「(中村は)速球の対応に弱点がありました。逆に変化球打ちはうまかった。だから(技巧派が多かった)セの投手を打てたのです」

 同年はキャリアハイの22本塁打をマークした。伊東氏は「3打席三振しても目をつぶれて、4打席目に本塁打が出ればいいと思える打者になりました」と述懐する。

巨人、阪神ならつぶされていた長所

 08年は46本塁打でリーグ制覇、日本一に貢献した。09年には48本塁打で2年連続のタイトル獲得。特に08年は128安打で、安打すれば本塁打という打棒だった。一方で打率は2割4分4厘。

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「巨人や阪神の人気球団でクリーンアップを任される打者なら、この低打率はベンチもマスコミも許さなかったでしょう。西武で伸び伸びプレーできる環境だったからこそ、一発狙いの打撃スタイルを確立できたのです。巨人、阪神にいたら中村の長所はつぶされていたでしょう」(遊軍記者)

中村剛也と岸孝之 ©文藝春秋

 西武打者では松井稼頭央(現ヘッドコーチ)をはじめ、中島宏之(巨人)や秋山翔吾(広島)がメジャーに挑戦してきた。浅村栄斗はフリーエージェント(FA)で楽天に移籍した。遡っても清原のほか、秋山幸二、石毛宏典ら主力が流出する歴史を繰り返した。

 しかし、中村は西武一筋で今季、21年目に突入した。栗山巧とともに、この系譜から外れている。国内、海外FA権の行使にも無縁だった。西武球団関係者が端的に指摘する。

「中村は速球に強くないので、メジャーでは日本のようにホームランは打てないと分かっていたと思います。そして自他共に認める人見知り。国内の他球団への移籍も選択肢になかったでしょう。自分のスタイルを貫けるのはうちしかなかったと思っています」

©文藝春秋

ひとりフライボール革命

 中村への注目度が再び、高まったのは11年だった。球界は前年の「飛ぶボール問題」を受け、低反発球に統一されていた。他のスラッガーが軒並みホームラン減にあえぐ中、両リーグ断トツの48本塁打(セの本塁打王はバレンティン=ヤクルト=で31本塁打。パの2位は松田宣浩で25本塁打)。パ全体で本塁打が前年の742本から454本に激減したシーズンで、実に全ホームラン数の1割以上を1人でたたき出し、最少だったロッテの46本塁打を1人で超えた。