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「敵チームでは、コルクを詰めるとか何かバットに細工をしているのではないかとの疑惑が出ていました。身長は175センチと大きくはない。それでも、1人だけ飛距離が突出していました。本人は低反発球を飛ばすコツに、右手の押し込みを挙げていましたが、違う道具を使っているのでないかと疑いたくなるほど飛んでいました」(当時のパ球団の首脳陣の1人)
中村はその年も134三振で三振王になった。本塁打王と三振王の“ダブル受賞”はこれが3度目。昨季まで本塁打王6度、三振王は4度、シーズン100三振以上は実に12度もある。三振は本塁打を生み出すための副産物だった。
全打席、全球ホームラン狙い
「中村の空振り三振は中途半端にバットを止めるものがほとんどありません。2ストライクまでは球種を絞って待ってフルスイング。そして2ストライク後はどんな球にも対応できるように中堅から右方向を狙うのですが、これも振り切ります。凡退が三振のときほど、ホームランが出る雰囲気が濃くなります。美しい放物線はアーチストの名にふさわしく、今振り返ると、大リーグに先駆けて1人で『フライボール革命』を起こしていたのではないでしょうか」(同前)
たとえその技術があっても、当てにいっての安打狙いを良しとしない。全打席、全球ホームラン狙い――。アーチストが持ち味を貫き通したがゆえに負った“向こう傷”が不名誉な記録であるはずがない。