《ほどなく京都市内で演説する予定時間になろうとしていた。そこに飛び込んできたのは、当の安倍晋三元首相が「奈良で銃撃された」の一報だった。こんな形で命を奪われるとは、誰が想像しただろうか》

 京都新聞の1面コラム(凡語)の冒頭である(7月9日)。

 新聞読み比べがテーマの当コラムですが、新聞記事も何から読んでいいかわからないほどのショックが今も続いています。

ADVERTISEMENT

©文藝春秋

 私はここ10年程の新聞をよく「安倍スタジアム」とたとえました。新聞が二分してホーム側とビジター側にきれいに分かれていたように見えたからだ。野球の試合は座る席によって見え方が違うように、新聞にも違いがある。だから面白い。

 街頭演説だってそう。同じ党の政治家でも主張が違うから面白い。「なるほどそういう考え方か」と納得できることもあるし、ギョッとすることもある。それもこれも政治家がちゃんと言葉を発するからだ。私が選挙戦はフェスであると考えるのも、いろんな人やいろんな考えを目の前で次々と見聞きすることができるから。そういう「楽しみ」を奪う人がいることに呆然とした。

新聞各紙はどう報じたか

 そんな衝撃のなか、安倍元首相の「評伝」が新聞各紙に掲載された。一読したら、私なりにあるテーマが見えてきた。まず政権運営について。