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読売新聞では、安倍氏の第1次内閣は、教育基本法の改正など自らの政治理念にこだわり過ぎて長続きしなかったことから、
《その失敗を教訓に、第2次内閣以降は、硬軟織り交ぜた政権運営に徹した。集団的自衛権の限定的な行使を容認し、安全保障関連法を整備する一方、働き方改革など野党が主張していた政策にも柔軟に取り組んだのは、その象徴と言える。》(7月9日)
朝日新聞も同じ点を書いている。
《政権運営では、現実主義者(リアリスト)の一面を見せた。「保守」を自任するからこそ、あえて自説を封印することもあった。》(7月9日)
ここでは13年12月に靖国神社を電撃訪問したが、この後、首相としては一切参拝しなかったことや、15年12月には慰安婦問題で軍の関与や日本の責任を認めた「日韓合意」を韓国政府との間で結んだことが挙げられている。「ただ、本心では納得していなかった。不満もこぼしていた」とも。
政権運営のためには時として自説を封印する。野党が掲げた政策すら飲み込む。いわゆるウイングを広げる。安倍氏も自民党の伝統的な手法をやっていたとあらためて気づく。
「敵、味方」というキーワード
新聞各紙に載った評伝で興味深かったのは、人柄の部分である。
《「敵」と決めると手厳しいが、「味方」と認めると強い結びつきを示した。会食では早口で話し、冗談を飛ばして場を盛り上げた。その明るさと情熱に、近くで安倍氏と接した人は引きつけられた。》(朝日新聞7月9日)