8200km先のウクライナを見据える
人生を賭けたライフワークの完成という達成感を親松に問うと、
「7月に像を分解して藤沢から南島原へ移送し、現地で組み上げたあと、耐震のための鉄芯やボルト、鎖を据えて、仕上げに彩色を施す。これら一連の作業を陣頭指揮するので、無事に終えるまで達成感に浸っている余裕は無い」
と語る。
聖堂の正面壁面は、親松自ら「置き石の十字架」をイメージしてデザインした。
「置き石の十字架」とは江戸時代、教会になぞらえた山奥の神社に潜伏キリシタンが密かに集まってオラショ(祈り)を捧げるときに、地面に並べた小石で十字架を作った故事に基づく。小石に見立てたガラスの小窓を十字架状に並べ、屋根には平和と聖霊を意味する鳩のオブジェを掲げるという。親松は、観光ありきではなく、教会関係者やクリスチャンも認める施設にしないと、慰霊の巡礼地として浸透し、地域に根付くことはないと考えている。
アトリエで分割されたマリア像は、2回に分けてトラックで九州へ搬送された。新東名高速道路、新名神高速道路、阪神高速道路、九州自動車道、長崎自動車道を経由し、大阪南港から新門司港までは海上を輸送。7月25日にすべてのパーツが南島原に到着し、現地入りした親松も、翌26日から組み立て作業を指揮している。アトリエ内のマリア像はひざ下部分を分割していたので、10メートルに組み上がった全体像を目のあたりにするのは、親松自身も初めてとなる。
彩色を施された像は10月末に完成予定。今後、日時限定で、聖堂での組み立て作業光景を一般公開するという。プロジェクトを進める「南島原世界遺産市民の会」の佐藤光典事務局長は「感無量だ。梱包を解かれたマリア像の顔を拝んだときは、思わず涙がこぼれた。来春のお披露目までに、親松さんの作品を展示するギャラリーなども整備していく。原城の慰霊史跡は、江戸時代に建てられた追悼碑と地蔵しかないが、今後はマリア像が敵味方の別なく、あらゆる犠牲者を包み込む象徴的な存在になるはずだ」と語った。
マリア像は奇しくも、ロシア軍のウクライナ侵攻の影響で多くの死者が発生している時期に完成し、安住の地に移される。西向きに据えられるので、図らずも8200km西北に位置するウクライナを見つめる格好になる。国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のラミレス文化副事務局長は、ロシアのウクライナ侵攻から1カ月間でウクライナ国内の教会29カ所が爆撃されたと伝えた。
マリア像は、憎しみの連鎖を断ち切る契機になり、戦乱のあらゆる犠牲者の魂を慰める存在になるのだろうか。マリア像と聖堂は、2023年3月末にお披露目される予定だ。