ローマ教皇からの4度の「祝福」
1981年に彫った30cmの習作から、マリア像の制作はスタートする。制作の支えになったのは、同年に来日した第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世からの「祝福」だった。祝福とは、キリスト教において、信徒の幸せや喜びのために特別な配慮をする、気に掛けるという意味。親松自身は敬虔なクリスチャンだ。
「歴史に埋もれた日本の殉教者たちのためにマリア像を作りたい。ついては教皇さまの祝福をいただきたい、と手紙にしたため、英訳と木彫のマリア観音像を添えて、駐日ローマ法王庁大使館経由で届けた。後日、思いがけず、当時のローマ教皇庁の国務長官カサノリ枢機卿より返信があり、『教皇さまはあなたのマリア像と手紙をとても喜ばれ、あなたを祝福します』とあった。それが40年間の心の拠り所になっている」(親松)
親松はヨハネ・パウロ2世から計3回、第265代ローマ教皇のベネディクト16世から1回の祝福を受けた。
マリア像は「原城の聖マリア観音」と命名された
2015年2月、マリア像を原城跡のある南島原市に寄贈する話がまとまり、キリシタンや島原の乱の遺物を展示する「有馬キリシタン遺産記念館」の中央ホールに安置する方向で話が進む。市長も市議会も寄贈を歓迎し、関連予算を組むが、同年5月「政教分離に反する」という市民の声があるという理由で、市は一転、受け入れを拒否してしまう。
寄贈するマリア像は宗教行事に使うわけではなく、政教分離の原則には抵触しないのは自明だが、クレームを過度に恐れる市に代わり、市民団体の「南島原世界遺産市民の会」がマリア像の受け入れ準備を引き継ぐことになった。
団体は、雲仙グリーンロード(島原半島広域農道)に面した南島原市南有馬町白木野地区の農地の寄贈を受け、マリア像を安置する聖堂の建築を急ピッチで進めている。そこは有明海の大海原や、2018年、世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつに指定された原城跡を遠望できる高台に位置する。親松も「紆余曲折があるたびに、マリア像はいつか必ず、原城を望む地へ収まる運命にあるという強い確信があった。運命に導かれた思いだ」と喜ぶ。
マリア像は「原城の聖マリア観音」と命名された。「マリア観音」は、キリスト教が禁教だった時代、潜伏キリシタンが聖母マリアになぞらえて手を合わせた観世音菩薩像を指す。東洋の美と西洋の美の融合という像のテーマも反映している。