黒川紀章が設計し、1972年に建設された「メタボリズム(建築を生命体のように新陳代謝させる建築運動)建築」の代表格。ビジネスマンが「都市のセカンドハウス」として利用すること想定して、銀座8丁目の好立地に建てられた「中銀カプセルタワービル」は、その強烈なビジュアルから、一度見た人の記憶に残り続けるといっても過言ではない魅力的な建造物でしょう。
私自身も、映画『TOKYO!』で、中銀カプセルタワービルの存在を目にした瞬間から心を鷲掴みにされたものです。それから数年……。SNS経由で、1ヶ月の間カプセルをレンタルできる「マンスリーカプセル」というプロジェクトを知りました。
「まさか! あの中銀カプセルタワービルに住めるの!?」
迷わず、ホームページに飛び、応募ボタンをクリック。それが私の中銀カプセルタワービルでの暮らしの第一歩でした。
現在は、老朽化のため解体されることが決定し、4月12日から作業が始まっていますが、あの中銀カプセルタワービルでの暮らしがどんなものだったのか。建物の記憶、住民としての思い出を何らかの形で残そうと、1ヶ月しか住んでいない身で僭越ではありますが、カプセルでの暮らしがどのようなものだったのかを記していきます。
借りるためには抽選を突破しなければ…!
先述した中銀カプセルタワービルの「マンスリーカプセル」というプロジェクトは、2014年にオーナーや住人が結成した「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」が運営していたもの。ビルの保存と再生を目的に、見学ツアーや、書籍の企画・出版、展示会、カプセル保存のためのファンド運営をされていて、その一環としてカプセルの貸出が始まったかたちです。
申込は「中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト」のホームページから。現在のホームページは「受付終了」になっていますが、当時は「◯◯月の募集中」といった案内が出ており、そこから応募ができたのです。
とはいえ、住みたいと思っていた「オリジナルカプセル」の部屋はわずか7室。「抽選に漏れても仕方ないな……」と思っていたのですが、なんと初回の応募で抽選を突破することができました。
あとから、同じくマンスリーレンタルを利用していた人から聞いた話によると、レンタルを申し込む人たちは、中銀への偏愛ぶりを応募フォームに書き込むことが多いらしいのですが、私は何も書いていなかったんです。それでも抽選を突破できたというのは、今振り返ると本当に運が良かったのだと思います。実際に、周りの利用者のなかにも、何度目かの応募でやっとレンタルできたという人が少なくありませんでした。