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 大竹を育てた元マネージャーの島田智子も、《演技プランを立てる人じゃない。足の悪い役をすると本当に足が悪くなってしまう。後にも先にもあんな子は初めて。周りが小細工しても勝てない》と証言している(※6)。島田はそんな大竹を、美内すずえのマンガ『ガラスの仮面』を読んで初めて理解したという。同作の主人公の北島マヤは、どんな役にでもなりきってしまうことから、大竹に似ているとの呼び声も高かった。彼女自身、唯一同一視できる存在と認め、かつて舞台化された同作で実際に演じたこともある。

17歳で出演、「朝ドラ」オーディションの逸話

『ガラスの仮面』の名台詞に、往年の大女優・月影千草がマヤを見て発した「おそろしい子!」というのがある。島田からすれば、若い頃の大竹もまさに「おそろしい子」であったのだろう。1973年にオーディションに合格して初出演したドラマ『ボクは女学生』ではさほど目立たなかったが、デビュー3年目(当時17歳)に出演した映画『青春の門』とNHKの連続テレビ小説『水色の時』で、がぜん注目される。

 このうち『水色の時』のオーディションの最終審査では、じつはすでに別の候補者がヒロインに内定していたにもかかわらず、脚本家の石森史郎が大竹の演技を見て「大竹しのぶでなければ私は降りる」とNHK側に押し切って、合格させたというエピソードが残る。石森によれば、このとき、ほかの候補者が自分を表現しようと力演するなかで、彼女だけは台本のト書きに書かれたことをそのまま表現できており、ひと目で「天才だ」と思ったという(※7)。

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『青春の門 自立篇』(1977年)

 このほかにも、伝説めいたエピソードには事欠かない。蜷川幸雄演出のシェイクスピア劇『マクベス』では、マクベス夫人だけでなく、3人の魔女も演じたがったという。魔女たちの「きれいはきたない、きたないはきれい」という有名な台詞を言いたかったからで、出番は重ならないし、「じつはマクベス夫人は魔女と同一人物だったのでは?」と提案もしてみたが、蜷川には「はいはいはい」とあしらわれてしまったとか(※2)。

 そもそも演出家にこうして提案や質問をぶつけたり、相手がおかしいと思えば拒否することも辞さない俳優は、日本では珍しいらしい。外国人の俳優もたびたび演出してきた野田秀樹に言わせると、《向こうの俳優は、みんな、わがままだよ。はっきりしてる。全員が「大竹しのぶ」》であり、《わがままであることは、すごく大事なことだからね。たとえば演出家が変なイメージ出した時に、やっぱり役者は拒否しなきゃいけないのに、日本人の役者はほとんど受け入れる》という。これは大竹との対談での発言だが、それに対し彼女も《日本では演出家と役者は先生と生徒のような関係がまだどこかにあるから。私、ある芝居で「わかりません」と演出家にちょっとひどい態度とったんです。わからないことはわからない、説明してほしいと言いました》と認めている(※8)。