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 フランソワとは仲良くなって、パリの家に遊びに行った。当時、彼はカトリーヌ・ドヌーヴのお姉さん、フランソワーズ・ドルレアックと一緒に住んでいてね。ゴダールは『中国女』に出ないか、って誘ってくれたんだけど、その価値を私は分かってなかった。フランス語も上手じゃないから、「ノー」って言ったの。

川端康成との出会い

 当時、私はフランス語を勉強して、女優とは違うものになろうとしていた。あの頃、ヨーロッパからいろんなものが入ってきていたでしょ? そういうのを買い付ける仕事をしたかった。イヴ・サン=ローランも日本に入っていなかった時代。自分の目利きには自信があった。一番の秘訣は、何でも聞くこと。パリのディスコですごくセンスの良い子がいて「あの靴、どこで買ったんだろう?」と思ったら、片言のフランス語ですぐ聞く。お店を教えてもらったら、すぐ見に行って。そうやってセンスも知識もどんどん広げていった。

 だが半年後、劇団四季の舞台「オンディーヌ」への出演依頼がくる。負けん気が騒ぎ、帰国。稽古でしごかれたが初舞台は大成功し、演技の面白さに目覚めた。そして出演した映画『美しさと哀しみと』(65)で、原作者の川端康成と出会う。

 文豪だけど、あのおじいさんは単なる私のファン。『美しさと哀しみと』の撮影中は、しょっちゅう大船の撮影所まで来て、私をジーーッと見てた。「ねえ、ちょっと気を遣って。監督もいるんだから」って、諭してたのよ。あんまり大物扱いしない私を気に入ってたのね。

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 あるとき朝ごはんデートで箱膳が出ているお座敷に座った瞬間、私のスカートが少し翻ってたのね。それをあの人「ちょっと上げてごらん」って。でもその言い方が全然いやらしくない。だって、鶴のように痩せたおじいさんだもの、私から見たら。「オンディーヌ」にも、アングラの小劇場にも、来なくていいっていうのに観に来て。でも小劇場のコンクリートの床に直に座らせるのは痛々しいから、私が楽屋からクッション持ってきて座らせてやる。手数がかかるの(笑)。大作家だから利用しようなんて全く思わなかった。

更年期を乗り越えるために

 30代、40代の頃には人目を忍ぶ恋も、息子のような年齢の男性との恋もあったが、50代ではしばらく恋愛から遠ざかっていた。

 50代は何がひどかったって、更年期。「何これ、罰?」って思うぐらいひどかった。すごい汗で、下着を1日に3組ぐらい取り替えて。これはトンネル抜けるまで仕方ないって納得するまで、1年ぐらいかかったかな。どんどん太るし、楽な人が羨ましかった。