2019年7月27日放送のNHKスペシャル『半グレ 反社会勢力の実像』に出演し、一躍注目を浴びた人物がいる。3度の逮捕を経て、現在はYouTuberとして活躍している勇介氏だ。彼は、かつて大阪ミナミを制した「伝説のアウトロー」としても知られている。
ここでは、そんな勇介氏の半生を描いた『テポドン 大阪ミナミの「夜」の歴史を変えた暴れん坊』(講談社)から一部を抜粋。勇介氏がミナミのセクキャバで働いていた当時の“ヤンチャエピソード”と、「ミナミのテポドン」と名付けられたきっかけを紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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「絶対に客がヤクザでも引くな」
ボーイ、店長と役職が変わっても、会長とは完全なる主従関係にありました。
会長こそ僕がミナミの街で生きていくノウハウを教えてくれた人でした。この西川会長(仮名)がいたからいまの僕があると言っても大げさではありません。
西川さんは現役のヤクザではなく、元ヤクザという経歴の人でした。僕と出会う前は有名な関西の老舗2次団体に所属していたといいます。といってもヤクザから完全に足を洗ったというわけでもなく、その世界とのつき合いは続いていて、店も「フロント」でしたし、企業舎弟としての役割を果たしていました。
西川さんとセクキャバの面接ではじめて出会ったのが僕が18歳のとき。会長は僕の一回り上でしたから、そのころはちょうどいまの僕くらいの年齢だったと思います。
元構成員といえども、西川さんはシンプルに言えば生き方そのものがヤクザでした。セクキャバ時代、僕が喧嘩上等でトラブル対応をしていたのも会長の教えがあるからでした。
「絶対に客がヤクザでも引くな」
「喧嘩は負けるな」
会長の言葉はこの2つだけ。セクキャバ時代、ヤクザ相手でも引かなかったのはこの鉄則があったからです。その後も会長の言葉を忠実に守り続けたおかげで、グループ店を拡大していけました。