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「ミナミにテポドンが落ちますね」大阪・ミナミを制した伝説のアウトローが語る、18歳で“ヤクザの会長”に叩き込まれた“2つの鉄則”

『テポドン 大阪ミナミの「夜」の歴史を変えた暴れん坊』より #1

2022/07/24
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セクキャバのもう1つの「鉄の掟」

 そしてもう1つ、セクキャバには「鉄の掟」がありました。それはキャストとスタッフの恋仲禁止というものです。もし、スタッフが店の女の子に手を出せば、罰金として1人200万円、キャストも合わせれば2人で400万が科されるというものでした。これは働きはじめた当初から伝えられていたルールでした。

 僕自身も当時は盛りの年ごろ。お店には可愛い女の子もたくさんいましたし、そのような下心が1度もなかったと言えば嘘になります。ただ、この掟がある以上、意地でも女の子に唾をつけるわけにはいきませんでした。金の問題もありますが、それよりも会長の意思に背くわけにはいかないという思いがありました。それほどまでに西川さんの存在は僕のなかで絶対的なものでした。

 背中の刺青も西川さんの指示です。

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「金出したるからお前も墨入れてみろ」

 いま思えばかなり強引な命令ですが、僕自身も15歳のころからタトゥーは入れていたので、刺青に対してはとくに抵抗はありませんでした。むしろ「墨」は自分ではなく他人のお金で入れたほうが縁起が良いと言われていたので、会長の金で入れられるのならラッキーだと思っていました。

イケイケのころの勇介 ©勇介/講談社

「ミナミにテポドンが落ちる」

 “テポドン”という通り名がついたのも、西川さんと出会ってすぐのころです。当時はセクキャバの仕事が終わればミナミで友だちと朝まで飲むというのが定番の遊び方となっていました。

 西川さんの「喧嘩は負けるな」という教えが染みついていたおかげで、夜の街で因縁をつけられれば口喧嘩も早々に殴りかかり、こちらから吹っ掛けることもしばしばでした。当時は相手がだれだろうが徹底的に叩き潰すような喧嘩をしていました。酒が入るとさらに拍車がかかっていたと思います。

 きっかけとなったのはミナミにいるナオキという友だちの一言でした。ナオキはのちに「喧王」という地下格闘技で「ダイナマイト卍」のリングネームを名乗り、チャンピオンにもなった男です。

「勇介君が酔うたらミナミにテポドンが落ちますね」

 あるとき、いつものようにミナミを飲み歩いていたら、ナオキがそう冗談っぽく言いました。周囲もその言葉がしっくり来たのか、以降は周りからも「テポドン」と呼ばれるようになり、いつしかあだ名として定着するようになりました。命名されるきっかけとなったのも会長の教えがあったからだと思います。

 英才教育だったかどうかはわかりませんが、こうして僕は西川さんからミナミでの生き方を叩きこまれていきました。

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