岸田文雄首相にとっては「自立の時期」
岸田文雄首相にとっても、安倍さんの不在には二つの側面があると思います。一つには口うるさい先輩がいなくなったという面。その一方で、頼りになる相談相手がいなくなってしまったことです。ゆえにこれからは、岸田さんにとって最大の課題は自身の「旗」を掲げられるかどうかです。もはや逃げることができない「自立の時期」を迎えていると思います。
過去にもこれと似たような状況がありました。岸田首相と同じ宏池会の宮澤喜一さんが総理総裁として臨んだ1992年の参議院選挙。当時の幹事長は、党内最大派閥の竹下派出身の綿貫民輔さん。それまでの宮澤内閣は竹下派支配内閣と呼ばれていました。ところが参議院選挙で勝利を収めたあと、事情が変わり始める。8月に竹下派会長の金丸氏の巨額献金事件が発覚、竹下派が分裂、崩壊していくんです。この最大派閥の力が衰える過程で、宮澤さんが強くなっていきました。
いまの岸田さんはかつての宮澤さんのアナロジーでしょう。確かに安倍さんという自民党内で最大の力を持っていた人間がいなくなったことで、政権運営の最終決定権を岸田さんが手にしつつあると言っていい。
安倍氏「国葬」の政治的意味
しかし、岸田派は自民党内の第4派閥という現実が横たわる。とりわけ岸田首相にとって難しいのは「安倍晋三の遺志」という目に見えない“重石”ではないでしょうか。政策的に安倍さんが為しえなかったことは何か、安倍さんの遺志を継ぐのは誰なのか――。折に触れて岸田首相に突き付けられるキーワードになるはずです。
既に安倍政治の賛否をめぐる綱引きが表面化しつつあります。この当面の党内流動化や混乱を鎮静化させるために岸田首相が放ったのが「国葬」だったのではないか。党内にも国葬実施に懐疑的な声があった中で岸田首相が即断即決したのは、一気に党内で主導権を握るためだったと見ていいでしょう。
この決定の政治的意味は決して軽くはないと思います。つまり、国葬が挙行されるこの秋まで、ドロドロした政治の動きが瞬間冷凍されたのに等しいからです。既に最大派閥の安倍派は国葬までは現状の体制を維持することを決めました。9月上旬にも想定される内閣改造・自民党役員人事をめぐる猟官運動も「服喪」を理由にご法度状態になっています。その中で岸田首相だけがフリーハンドを握って人事構想を描くことができるのです。