「原子爆弾はいまだに日本人を日に100人の割合で殺している」――1945年9月、米紙「ニューヨーク・タイムズ」などは、「広島・長崎に落とされた原爆の放射線による急性死亡」と思われる事例を伝えていた。それにもかかわらず、原爆開発の副責任者で准将のトーマス・ファーレルが放射線被害をかたくなに否定した理由とは?

「黒い雨」による被ばく問題を記録した、毎日新聞記者の小山美砂氏による新刊『「黒い雨」訴訟』より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

なぜこの国の放射線被害はかたくなに否定されたのか? ©getty

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広島・長崎に降った「黒い雨」の正体

 原爆が放出した放射線は、大きく分けて二つある。一つは核爆発から約1分以内に出た「初期放射線」だ。最大2.5キロまで届いたとされ、初期放射線を浴びた人は、「外部被ばく」の影響を受けた。

 もう一つは、「残留放射線」と呼ばれるものだ。放射線は地上に到達し、それを浴びた土壌や建物に含まれる金属を放射化(放射線を放つ物質に変化すること)した。原爆炸裂後、分単位以上の長期に及ぶ放射線被ばくを起こした。なお、残留放射線には原爆の燃料で未分裂のまま飛び散ったウランなどの放射性物質が放出するものも含まれている。こうした放射性物質を体内に取り込んだ場合、「内部被ばく」した。

 原爆炸裂時は郊外にいたが、その後に爆心地付近を通過・滞在した人(入市被爆者)や救護に従事した人(救護被爆者)にも、発熱や脱毛など直接被爆者と似た症状が現れた。その要因は、爆心地近くに滞留、または被爆者の衣服や髪の毛などに付着していた放射性微粒子(エアロゾルを含む)を吸い込んだり、水や食べ物とともに取り込んだりすることで内部被ばくしたものと考えられている。

 放射性微粒子は、衝撃波や爆風で巻き上げられ、さらに爆発による高温で気化し、高空へ拡散して広い地域に到達した。その一部は、「きのこ雲」や二次火災に伴う積乱雲から降った雨とともに、地上に降り注いだ。この時降った雨が黒く汚れていたのは、火災により生成されたススが原因だ。また、雨だけでなく、灰や焼け焦げた紙片などが降ったとの証言もある。中には、爆心地近くの学校名や病院名が印字されているものもあった。

 こうした放射性降下物こそ、森園が浴びた「黒い雨」の正体だ。

 本書では、「黒い雨」とは必ずしも雨滴だけを指すのではなく、チリや灰を含んだ降下物の総称としたい。森園は、放射性物質を含んだ雨を直接浴びたことで外部被ばくし、またそれらを体内に取り込むことで内部被ばくしたのだった。

 真夏日だったあの日。口を大きく開けてカラカラに渇いた喉を潤した人。生あたたかい雨が心地よくて「シャワーのように」浴びたという人。雨が流れ込んだ川は黒く濁り、いたるところに魚が浮いた。その川で野菜を洗って食べ、水を汲んで飲んだ人もいる。