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「ホテル」の先駆け

 この中には、横浜の「ホテルニューグランド(1927年開業、1934年改築)」「日光観光ホテル(1940年開業、現・中禅寺金谷ホテル)」「蒲郡ホテル(1934年開業、現・蒲郡クラシックホテル)」「名古屋観光ホテル(1936年開業)」「雲仙観光ホテル(1935年開業)」など、現在も地域を代表する老舗ホテルが名を連ねている。なお、これら14の国際観光ホテルの先行事例として大阪に建設された「新大阪ホテル(1935年開業)」は、大阪中之島の「リーガロイヤルホテル」の前身である。

かつては錚々たるホテルの一つだった阿蘇観光ホテルだが、現在は荒廃してしまっている

 1939年に竣工した阿蘇観光ホテルは、このような錚々たるホテル群の一員であった。

 これら14の国際観光ホテルの建築は、いずれも外国人客向けに洋風の意匠を取り入れて設計された。阿蘇観光ホテルについては、スイスの山小屋風の急傾斜の切妻屋根と、緩い傾斜の和風の瓦屋根を備えた各部が組み合わさった和洋折衷の意匠で、いずれの屋根も鮮やかな赤色で葺かれた。このようなデザインが採用された理由としては、阿蘇の山々の風景が、欧州の代表的観光地であったスイスの高原のイメージに重ねられた為ではないかと推測されている。

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初代の建物 写真=工事年鑑 昭和15年版(清水組)より

 余談だが、JR豊肥本線の阿蘇駅から2駅離れた同・宮地駅の駅舎(1943年竣工)のデザインは、初代の阿蘇観光ホテルとよく似ている。

 阿蘇市広報担当によれば、この駅舎は当時、鉄道省門司鉄道管理局建築課長であった富田恵吉氏が、「スイスの登山列車の山小屋」をイメージして設計したという。但し、阿蘇観光ホテルとの関連については不明である。

JR豊肥本線「宮地駅」の駅舎は阿蘇観光ホテルのデザインとよく似ている

 また、国際観光ホテル事業を契機として、外国人向けに旅館とホテルとの違いを明確にする必要が生じ、現在の旅館業法における旅館とホテルの定義(旅館=和式の構造設備を持つ施設、ホテル=洋式の構造設備を持つ施設)へと繋がっていった。こうした経緯から、14の国際観光ホテルは、日本ホテル建築の源流ともいえる。

 こうした様々な施策に加え、1940年の開催が決定していたいわゆる「幻の東京オリンピック」への期待もあって、1930年代中頃の訪日外国人は年間4万人、消費額は1億円を上回り、国際観光政策は大きな成功を収めた。1936年時点のインバウンドによる外貨獲得高は貿易収入の第4位を占める程で、戦前の国家財政を支える柱の一つとなった(第1位は綿糸綿布、2位は生糸、3位は人絹)。