プロジェクトチームのレポートを読みましたが、全体としては可もなく不可もなく……。しかし、〈勝利至上主義、競争主義の下で、途中入部の転入生の練習に付き合っていたら自分の練習ができず、競争から脱落するという心配があった可能性もある(だから当該生徒の練習を手伝うのを厭うことを「いじめ」と即断することは酷なこと)〉とあります。競争主義の部活では無視するのは当たり前だと言うようなメンバーがいるプロジェクトだったんです」
要望書を提出するが、市のスタンスとは平行線
話し合いの後、22年6月、検証委員会が設置された。再調査報告書の中では、独立性があり、実効的な権限があるような検証組織の必要性が指摘されていた。遺族も、名古屋市に要望書を出していたが、希望するような検証委員会ではなかったという。
「再調査報告書で指摘された問題をきちんと深掘りしてほしいと、私たちも要望書を出していました。そうしないと再発防止ができません。ただ、副市長から『検証委員会はやります。しかし、お父さんが望んでいる委員会ではありません。市としてはこれしかできない』との回答があったのです。
もちろん、名古屋市が市内のすべての学校のいじめ対策をチェックするのは自由です。それでも、娘が通っていた学校について深掘りして検証しないと、何を物差しにジャッジするのかわからなくなります。そのため、市のスタンスとは平行線でした。また、検証委員会は、人選も含めて相談なく立ち上げられました。資料が送られてきただけ。口頭の説明もありませんでした」
今後、名古屋市教委の姿勢や教育行政の流れは変わるのか
こうした市や市教委の対応によって、遺族には訴訟の手段しか残されなくなった。
華子さんの死に関しては、国会でも取り上げられた。22年6月13日の参議院決算委員会にて、岸田文雄総理が「ご遺族の事実関係を明らかにしたい、何があったのかを知りたい、こうした切実な思い、これを理解し、ご遺族に寄り添い対応に当たることはきわめて重要な姿勢であると認識しています」と答弁している。日本維新の会・梅村みずほ議員の質問に答えた。遺族も委員会質疑を傍聴し、岸田総理の答弁を聞いた。
名古屋市では22年7月4日、文科省初等中等教育局児童生徒課長を経験した坪田知広氏が教育長に任命され、市議会で同意された。就任直後、坪田教育長は信太郎さんに会いにきたという。名古屋市教委の姿勢や、教育行政の流れが変わるのか。注視していきたい。
写真=渋井哲也