一方で安心材料もあった。この時点で3年生の選手の進路はほぼ内定していたことだ。龍谷大平安では、1年生のときから原田と一対一で進路相談を重ねている。これはコロナとは関係なく、原田が監督に就任した当初から続けていることだった。
「大学に進学するのか。それとも就職するのか」は、3年生になってから決めることではない。早い段階から進路を話し合っておくことで、選手たちがどういった道に進むべきかをともに考えることは、指導者の務めだと原田は考えているのだ。
ただし、3年間の高校野球活動を当たり前のように終えようとしている選手にはこんなことを必ず伝えていた。
「大学に進学したら、4年間で大体1500万円かかる。1年間で350万円以上や。それもかかわらず、4年間、ちんたらちんたら野球をやってたら、親御さんはどう思う? そのことを真剣に考えたことがあるのか?」
親が一生懸命汗水流して働いたお金で野球ができるという事実に、選手のほうがピンときていないことがある。龍谷大平安の野球部で甘さや妥協を生み出しそうな選手がいるときには、「大学ではそうはいかないぞ」ということを示してやるのだ。
だが、このときは違った。2年の冬から3年の夏前まで、まともに野球ができなかったことで、進学して一生懸命野球に向き合おうとしていた選手がほとんどだったため、安心して大学に送り出すことができた。
「甲子園出場のチャンスは逃したけれども、大学で精進して、この先ひと花もふた花も咲かせてほしい」
原田がコロナ禍で苦しんだ3年生全員に託した思いだった。
コロナで潰えた「甲子園出場の夢」
6月1日に学校が始まると、その1週間後の8日に野球部の活動が再開された。3ヵ月以上まともに活動していなかったため、練習再開当初は入念にウォーミングアップを行い、基礎練習に時間を費やした。それ以上に原田が気にかけたのは、「選手の心の状態」だった。
たしかに練習は全員無事にこなしている。けれども、あれほど目標にしていた「甲子園出場」の夢がコロナによって潰えてしまった。目標がなくなったなかで、はたしてまともに野球と向き合えるのかが心配でならなかった。とくに3年生の心中を察すると野球以外に過ごす時間のなかで、同じ学年の選手同士で夜更かしをしたり、心が不安定になって眠れなくなってしまったりして、生活リズムが乱れ、結果的に学校生活にまで影響を及ぼしてしまわないかという懸念があった。
実際に何人かの選手は生活リズムが乱れ、野球と真剣に向き合えていなかった。そのなかにはチームの中心選手も含まれていたが、原田はどうしても叱ることができなかった。というよりも、叱る気になれなかったというのが正しいのかもしれない。