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「色んな意味でヤベぇ」悩める中年時代のトム・クルーズを救ったのは「空前絶後のバカ映画」だった!?

『読むと元気が出るスターの名言』 #1

2022/08/11
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 そして1989年、トムはオリバー・ストーンの『7月4日に生まれて』(1989年)でアカデミー主演男優賞候補になる。アメリカ独立記念日である7月4日に生まれた少年が、やがて愛国心に燃える青年となってベトナム戦争に飛び込むが、戦地で悲惨極まりない体験をしたうえに、やっとの思いで帰国したら社会のゴミ扱いをされてドン底まで落ちていく。

 本作はベトナム帰還兵モノとして高い評価を受け、アカデミー賞の受賞こそ逃したが、トムの俳優としての評価は頂点に達した。

ついに社長! 勢い止まらない30代

 トムはひとりの俳優として80年代を駆け抜けた。そして90年代になると俳優の領域を超えて、映画制作者としても活躍を始める。1992年にはクルーズ・ワグナー・プロダクションズを設立し、プロデューサーの地位を得た。

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 ちなみに同年の来日時、彼は日本の記者に名刺を渡したそうだが、そこにはカタカナでトム・クルーズ、漢字で「社長」と書かれていたという。スターとしての来日インタビューの場で名刺配りをしているあたり、彼の経営者としての本気度が窺い知れる。

 俳優業も相変わらず絶好調で、法廷映画の傑作『ア・フュー・グッドメン』(1992年)のような重厚なサスペンスから、不老不死の吸血鬼らの耽美な世界を描いた『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994年)、とある夫婦の性生活が暴走していく『アイズ ワイド シャット』(1999年)、カエルの雨が降ってくる中での群像劇『マグノリア』(1999年)といった作家性の強い作品まで、幅広く活躍する。後に大変なことになるスパイ映画『ミッション:インポッシブル』シリーズの1作目を立ち上げたのもこの頃だ。

 トムの勢いは留まるところを知らず、90年代を猛スピードで駆け抜けていく。なお先述の名刺を渡したときのインタビューで、本人は自分について以下のように語っている。

「ガキの頃からケンカ、しっぱなしだった。鼻を折ってしまったくらいハデにやってきた。不良と呼ばれてきたけど、でも、命だけは粗末にしなかった。自分なりに精一杯、生きてきた。きっと生きることが好きなんだろうね」

 精一杯生きる……それは今日も一貫しているトムの人生哲学だ。しかし、人生はそう上手くいかないもの。40代、世間一般でいう中年にさしかかる頃、トムのキャリアに初めて陰りが見え始める。