1997年7月29日、殺人罪で15年ちかく逃亡を続けた福田和子が、時効の21日前に逮捕された。それは、和子が馴染みにしていた福井駅前のおでん屋を出た瞬間だった。無期懲役の判決が下され、和歌山刑務所に収監されたが、2005年3月に脳梗塞で死去する。享年57。いまなお不可解なのは、逮捕時に63万円という大金を所持しながら、最後まで福井に居続けたことである。なぜ彼女は福井から逃げなかったのだろうか。

※本記事は、ノンフィクション作家の奥野修司氏による「文藝春秋」2011年12月号の特集「真相開封35 アンタッチャブル事件史」内の「福田和子 息子が明かす『逃亡15年』時効寸前の日々」を転載したものです。(肩書・年齢等は記事掲載時のまま)

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幸せの絶頂期だった大洲時代

 1982年8月19日、福田和子は松山市で同僚のホステスを殺害し、遺体を山中に埋めると、間一髪で雨の降る闇に姿を消した。

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写真はイメージ ©iStock.com

 当時、和子は愛媛県大洲市で4人の子供と一緒に暮らしていた。上2人は先の夫との、下2人は再婚相手との間にできた子供である。大洲時代は幸せの絶頂期だったらしく、「わずかな間だったけど、何もかも楽しかった記憶があります。ぼくがギャグを飛ばすとみんなが笑い転げるんです。家の中は、それはもうにぎやかでした」と長男は語っている。和子がとくに目をかけたのがこの長男で、逃亡後も月に一度は電話で連絡していたという。

 松山を逃走した和子は、金沢のスナックにあらわれた。その後、東京で顔を整形して同市に戻ると、「小野寺しのぶ」の名でホステスとして働く。ちなみに和子は、逮捕されるまで20以上の偽名を使い、「貸しビルのオーナー」「パブの経営者」「エステの指導員」などと使い分けて別人になりすましたが、誰も疑わなかったという。

 やがてこの店で和菓子屋の主人と出会い、1985年から内妻として同居を始める。彼女には商才があったらしく、店舗を建て替えると、売り上げをどんどん伸ばしていった。そして大胆にも、当時今治にいた長男を、逮捕の危険を承知で迎えに行くのである。

 親戚の子というふれこみだったが、主人は実の子と知っていたのだろう。食事をするときも、飲みに行くときも、いつもこの長男がいたという。“夫婦喧嘩”をすれば、和子は長男を連れて金沢に家出し、主人が頭を下げて迎えに来ることもあった。

 和子も長男も久しぶりに一家団欒を堪能していた。1988年2月、突然警察に踏み込まれたが、和子は危機一髪で逃れた。その後、彼女がふらりとあらわれたのは福井だった。