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加害者の「責任」が消え、被害者の憎しみも消える…謎の巨大企業が開発した処理技術をめぐる物語

佐々木敦が『CF』(吉村萬壱 著)を読む

2022/08/08
『CF』(吉村萬壱 著)徳間書店

 奇怪でおぞましい、だが卓抜な設定の物語である。謎の巨大企業CFが開発した「トリノ」という処理技術は「罪」を犯した人間の「責任」を“無化”する。「ペルト加工」と「クレーメル処理」と呼ばれる工程が、観念的なものであるはずの「責任」を物質化し、エネルギーとして解消する。しかも、加害者の「責任」が消えるとともに、被害者の憎しみも消えてしまうというのだ。街中にそびえ立つCFの工場の「お化け煙突」からは大量の蒸気が立ちのぼり、それは浄化(?)された「責任」の煙だと噂されている。

 登場人物のひとりは工場で働く男である。2メートル近い大男の彼は他の工員たちとともに広大な作業場の床一面に溜まったピンク色の溶液を棒で攪拌するという単純作業をするだけで、申し分のない給料を得ている。実は彼自身も罪人であり、労働と引き換えに「責任」を“無化”してもらったのだ。男の妻は前の夫を過労死で失った女で、中学生の連れ子がいる。妻と息子は彼が工場で何をやっているのかを知らない。妻の大学時代の友人夫婦には小学生の娘がいて、2組の家族には親交がある。男は昔、恋人であったらしい妻と元同級生の先方の夫の関係を疑っており、かつて自分を罪へと追いやった嫉妬の炎が立ち上りつつあるのを感じている。妻には最近ますます、無口な夫が何を考えているのかわからない。

 その他、貧相で貧弱な体の、薄幸なキャバクラ嬢、彼女が懇ろになる男を中心とする、CFへの爆破テロを計画する男たち、CFの社長とその側近、彼らと繋がった元外務省事務次官の老人など、複数の人物の視点を交錯させながら、物語は進んでいく。そして次第に、CFの秘密がほの見えてくる。

 小説の冒頭に、政治家や官僚、大企業といった「上級国民」は、たとえ罪を犯しても、いつのまにかうやむやになってしまうという話が出てくる。現実の事件をモデルとしていることがすぐわかるエピソードも複数あり、著者がこのような物語を構想した動機は明白である。現在のこの国のありようへの苛烈な批判。だがそれだけではない。その先に、「罪」と「責任」、「加害」と「被害」をめぐる、深く真摯な、複雑きわまる思考が存在している。

 誰もが知るように、巨悪の「無責任」化は現実の問題である。しかし、ひとは誰もが罪を犯す可能性を秘めている。償いや赦しの絶対的な困難が解消されるというのなら、それはやはり救いと言えるのではないか。そんな技術があったとしたら、それにすがる弱き罪びとがいたとしても、誰も非難出来ないのではないか。この小説はこう問いかけてくる。責任の無化は、万人の希望ではないのか、と。

 結末には足元が抜け落ちるような驚きが待っている。あなたはたじろぎ、だがすぐに成程と唸り、そしてあらためて戦慄するだろう。

よしむらまんいち/1961年、愛媛県松山市生まれ、大阪育ち。2001年「クチュクチュバーン」で文學界新人賞を受賞してデビュー。2003年「ハリガネムシ」で芥川賞、2016年『臣女』で島清恋愛文学賞受賞。ほかの著書に『ボラード病』『流卵』など。
 

ささきあつし/1964年生まれ、著述家。音楽レーベルHEADZ主宰。著書に『ニッポンの文学』『半睡』など。

CF

吉村萬壱

徳間書店

2022年6月29日 発売

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