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77年、運命の夏

「戦友が次から次へと死んでしまう。野球のことは考えられなかった」伝説のアスリートが見た中国戦線の地獄

「戦友が次から次へと死んでしまう。野球のことは考えられなかった」伝説のアスリートが見た中国戦線の地獄

特別対談・沢村栄治&笹崎僙 #1

note

余暇ができると行なっていた楽しみとは……

沢村 ベースボールでもボクシングでも負けることは絶対嫌いでしょう、ゲーム中はどうしても勝ちたい、それが戦闘には持って来いですね。普通の者よりかっとなりますね。何糞という気になりますね。

笹崎 あくまでもやり通さねばいけないという気持はとても強いですね。自分の与えられた任務に対して忠実な気持をもってやり遂げることが出来るのです。自分は任務の都合で、よく一番先頭に出るのです、そうして敵弾の中で任務を遂行するのです、だから相当責任が強くなくては駄目です。とにかく運動をやっておった人は負けず嫌いだから、そういう状況に入るとたちまちかっとしますね。

――戦闘の余暇にスポンジの野球をやるとか拳闘をなさるとかいうようなことは。

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沢村 私達は徐州戦でしょう。それが徐州一番乗りに二時頃入ったのです。それから京漢戦の追撃戦に行って、黄河のところで水をきられたのです。それから帰って来て大別山の中央突破でしょう。全然余暇はないですよ。

笹崎 駐屯して暇さえあれば好きな釣りですね。

沢村 そう、釣りはよくやりますね。

※写真はイメージ ©iStock.com

向こうで練習しようという気持ちは全然起きなかった。

笹崎 初めのうちは戦闘の方が忙しかったからそんな気持はなかったのですが、掃蕩(そうとう)戦が終って、広東の近くの増城というところに警備についたのですが、初めの頃は敵襲敵襲でほとんど戦闘の連続ですが、ようやく敵も穏やかになって来たので、警備の方も楽になって来たんです。

 初めは戦争に来たんだから命なんかという観念はなかったのですから、練習しようという気持もなかったのですが、警備についていると、自分の命に対して、何か余命が繋がっているような気持がして、どっちにしろ練習しておいた方がためになると思って、真ッ裸になって、炎熱の下でやりました。

 征(ゆ)く時は十四貫前後でしたが、練習をやめて四ケ月経ったら太ってしまって十八貫前後になったですからね。ロープを家から送ってもらって縄跳びをしたり、シャドウ・ボクシングをしたり、暇をみてはずいぶん汗だらけになってやりましたよ。今考えてみると、ああいうようなことが相当ためになったのではないかと思います。

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