1934年に来日したベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらのメジャーリーグ選抜チームから次々と三振を取った伝説的なプロ野球選手の沢村栄治。そして日本ライト級王者として活躍した笹崎僙。当時絶大な人気を誇った両者が日中戦争下の1940年、帰国後に戦地を語り合った。『文藝春秋が見た戦争と日本人』より、一部を抜粋して引用する。(初出:『オール讀物』1940年9月号「帰還二勇士戦争とスポーツを語る」)

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本当にご苦労さんだ、と言われるとどんな苦労も忘れるのですが……

笹崎 戦地に行く前は僕らわりと無関心でおったのですが、帰って来てからは、いろいろな社会の面や政治とかに無関心でおられなくなりました。また帰還した人が、銀座あたりを歩いている着飾った人を見るとこづら憎くなるというが、やはり僕らもそう感じますね。向うにいる時は、銀座を歩いている人がないとか、ずいぶんそういうことを聞いたのですが、帰って来て見ると少しも変りがない。

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 そういう方面を見ると何だかだまされたような気持も多少ありました。帰還兵の方は、たいがい帰って来た当座は何となくそういう華やかなものに対して反抗心を持つらしいです、時日が経つにしたがって、しだいにそれが消えて行きますが、現在では、自分が憤慨を買うような態度をやるのではないかと思ってびくびくすることもあります。

――沢村さんはどうですか。

沢村 やはり同じですね。私達は〇〇(ママ)に帰って来たんですが、今まで娯楽機関とかいうものは全然ないし、女といえば向うの姑娘(クーニヤン)ですから、〇〇(ママ)に上陸して男と女とが歩いているのを見ると、そりゃ癪に障るのです。

対談で戦場での経験を話した沢村栄治(左)

 私は一線部隊のままの服装で帰って来たんですからね、ひげっ面で……。帰って来て嬉しいには違いないが、自分達はこんなに苦労しているのに男と女が一緒にふらふらしているのかと、むかつきますね、そういう考えは間違っているかもしれませんが……。

笹崎 本当にご苦労さんだという言葉を言われると、どんな苦労も忘れるのですが、あんがい無関心な人もありますね。もっとも心と表現と違う場合もありましょうが。