アニメーション映画の監督としてだけでなく、第二次世界大戦期の航空史家としても多数の実績を持つ片渕須直と、東京大学専任講師として、現在のウクライナ情勢について日本有数の知見を持つ小泉悠。

 終戦77年が経つ今年、現在のウクライナ情勢に強い関心を持つ2人が、片渕が監督したアニメ作品『この世界の片隅に』『BLACK LAGOON』などを切り口に語った。『週刊文春エンタ』より、一部を抜粋して引用する。(全2回の1回め/後編を読む)

2016年に公開され、異例のロングランとなったアニメ『この世界の片隅に』

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脳裏をよぎる地元の姿…「戦火に包まれた現代の松戸の街」

片渕 じつは、2人とも生い立ち的に千葉に関係が深いんですよね。

小泉 『この世界の片隅に』もそうですけど、広島・長崎だと原爆が、沖縄や満州は地上戦が、と、実際に戦場になった場所では戦争が明確に紐付けられて想像がつくわけですが、千葉県民にはわりとそういう意識がないんです。しかし、じつは千葉は軍都・津田沼があったり、戦争と関係が深い。

片渕 ぼくは、昔の習志野練兵場だった自衛隊の演習場の隣の団地から、昔の軍都をバスで通って東京の大学に通ったりしました。高校も船橋だったけど、自転車で行くと旧陸軍の鉄道連隊の線路がくるくると周りながら走っていて。あの線路は、実験線で距離を稼ぐため曲線がすごいんですよ。

小泉 そうそう新京成ですよね。線路の南側が陸軍の実験線で、船取線という県道を走っていると何度も何度も横切るんです。私が住んでいたのは松戸の外れのほうで、松戸駐屯地の最寄り駅で、昔は陸軍松戸飛行場があったところです。横にものすごく直線の長い道があるんです。それが昔の滑走路沿いの道らしいんですが、そこを毎日自転車で高校まで通ってました。

 関東は空襲は受けたけれど地上戦にはならなかったから、本当は軍事基地とかが集中していた場所だったりするのに、自分たちの街が戦場になるかもしれなかったという自覚があんまりないような気がします。

 戦争って、爆弾が降ってきたりとか実際に戦場で激しく戦ってる最中のことはものすごく語られるんですけど、終わったあとに続いていく生活については、記録には残っても、国民の意識からはわりと簡単に抜け落ちてしまう。