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片渕 若い人がね、高齢者から話を聞きたいのだけど「戦争の体験は語りたくない」と言われる、というので、「『その頃毎日何を食べてたのか』とかから聞くといいんじゃないかな」と話してるんですよ。「戦争中」とひと言でいうけど、ずっと毎日続いていて1日だけ空襲があって……ということなのだし。

衣食住といった戦時下の生活を細部まで描かれた『この世界の片隅に』

この頼りない存在を抱え、空からは爆弾が…子どもを持ってはじめて気がつくこと

 小泉 『この世界の片隅に』は生活も描かれているけれども、同時にディテールのすごさですよね。生活のディテールと軍事的な部分のディテールが、両方とも同じくらいの密度で描かれている。

片渕 そこは同じにしないといけないですよね。どちらかが浅くなって比重がどちらかに傾くというようなものじゃなくて。

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 兵器とかに詳しい人はいっぱいいらっしゃって、「映画の場面で紫電改が空戦フラップを出すのまで描いてた、すげえなあ」みたいな観方はよくされたりするんだけど、「ごはん」のほうもそれと同じ密度で描こうとしてるのもわかってほしいなあ。「裏の畑で水やってたらその向こうに軍港があって戦艦『大和』が浮いてる」までを、ひとつながりで見せる、その空間のつながりをつくれるのこそがアニメーションの強みだと思ってやってました。

主人公すずの家の畑から戦艦「大和」の停泊する呉軍港が見える『この世界の片隅に』のワンシーン

小泉 ぼくが、一気に戦争中とトンネルがつながった感じがしたのは、子どもを持ってからですね。自分で子どもを抱いたときに、ゼロ歳児の子どもがめちゃくちゃもろい感じがした。

 その子どもを平和な松戸と横浜で育てていても、なにか不安な感じ、いついなくなってもおかしくない不安の中で、これで爆弾が降ってくるとか、この子に食べさせるものがないとか、それは本当にたいへんなことだったんだなというのが、やっとリアルにわかった気がします。