アニメーション映画の監督としてだけでなく、第二次世界大戦期の航空史家としても多数の実績を持つ片渕須直と、東京大学専任講師として、現在のウクライナ情勢について日本有数の知見を持つ小泉悠。
終戦77年が経つ今年、現在のウクライナ情勢に強い関心を持つ2人が、片渕が監督したアニメ作品『この世界の片隅に』『BLACK LAGOON』などを切り口に語った。『週刊文春エンタ』より、一部を抜粋して引用する。(全2回の2回め/前編を読む)
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ウクライナとロシア、双方が抱える“ものすごく大きなトラウマ”
小泉 1960年代のソ連には豊かな解放感があるんですよ。コンクリート製団地がばかばか作られていき、小市民的な生活がやってきて、あの気が狂いそうな第二次世界大戦からは切り離されたという感覚があった。
でもそこからまっすぐにブチャの惨劇につながっていってしまう。ロシアがこの戦争を、この先どう克服していくか、大きな問題だろうと思うんですよ。
片渕 この先表面的にどう装おうとも、ものすごく大きなトラウマを抱えたままいかないといけない。
小泉 この戦争でロシアが負けたとしても、政治体制がすっかり書きかわることはないので、あの戦争は間違ってたんだ、と思うチャンスはたぶんない。ロシア人自身がこの戦争をどう総括して、どう落とし前をつけるかという、巨大な精神的問題を抱え込んだ。
ロシアからきこえた「人は撃てません」という兵士の声
片渕 開戦直後のロシア兵って、上官に命令されても「人は撃てません」という兵士がちゃんといて、ああ、ロシアの社会はちゃんとした市民を育てて来たんだなあ、と、ひとつの成熟を感じられたんですよ。そのあと略奪や虐殺など、めちゃめちゃなことが出てきちゃいましたが。
小泉 ロシア人はよく、「パチティー・ナーシ」、“ほとんど我々”という言い方をするんですよ。「ウクライナ人は区別がつかない、ほとんど我々である」と。だからこそ撃てないという兵士もいたでしょうし、戦争もなるべく無血で終わらせたい気持ちがあったと思うんです。
でも、3カ月(収録時点)戦争をやってるうちに完全に現場がすさんでいく。歴史の教科書で見たような、異民族が攻め込んできて、殺して犯して奪うような古い戦争にまた結局戻りつつある。
片渕 「文明って脆いんだな」と。文明の発達とは市民意識とか平等感とかが成熟していくことなんだと思っていたのに、それをいとも簡単に覆してしまう。一人ひとりの人間が傷つけられているのはもちろんですが、今は人類の文明そのものが傷つけられている。