――巨人軍は一番チームワークが良いように思いますが。
沢村 結局自分というものを考えるとチームを考えます。チームなくして自分の存在はないんですから。仮に試合の前日酒を呑んで、そのために自分のチームが敗けたとしたら、何と申し訳けして良いか判りません。だから酒はほとんど呑みません。
笹崎 とにかくスポーツは勝たなければならんのですからね。
スポーツも戦争も正々堂々とやって負けたら仕方がない、ではなく……
沢村 戦争と同じですね。正々堂々とやって負けたら仕方がない。それでは駄目なんです。正々堂々とやって絶対に勝たなければならん。それがためには野球は個人ばかりがうまくても駄目で、団体的に融和を図らなければならん。
ユニフォームを着た以上は年齢も経歴もない、あれは大学を出たからどうだとか、小学校だけだからどうだとかいうことがあってはならない。それから監督には絶対的に服従しなければ駄目です。監督も神様でないから間違うこともたくさんありますが……。
笹崎 拳闘なんか、その点は個人でやるのですから、本人の気持しだいでいいわけですが、ただ良いリーダーとかコーチャーが必要です。拳闘も向うから来たものですが、立派に日本的のスポーツともなり得ると思います。世界選手権までにはまだ進出していませんが、日本人の気性にはとても合っているし、これから連盟でも出来て多数の選手が輩出すれば、アメリカの選手にも堂々挑戦して行けると思います。
――お暑いところどうもありがとうございました。
※本記事は『文藝春秋が見た戦争と日本人』に掲載された「特別対談アスリートが見た戦場」を一部抜粋し、改稿を加えたものです。
さわむら・えいじ(1917~44)1934年に来日したベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグらのメジャーリーグ選抜チームから次々と三振をとる。後に、創立間もない東京巨人軍に入団、ノーヒットノーランを3度成し遂げるなど草創期のプロ野球を牽引する。2度の召集でいずれも中国戦線に出征し、武漢攻略戦などの激戦に従軍した。1944年、3度目の召集で南方に向かう途中、輸送船が撃沈され死亡した。
ささざき・たけし(1915~96)は、「槍の笹崎」と異名をとったプロボクサー。日本ライト級王者。1941年、ピストン堀口との「世紀の一戦」を戦う(試合は敗れた)。引退後は、指導者となる。日本初の世界フライ級・バンタム級で二階級制覇をしたチャンピオンのファイティング原田らを育てた。