『日本のいちばん長い日』、『聖断』などのノンフィクションを記してきた半藤一利さんの原点が、自らが体験した1945(昭和20)年の東京大空襲であった。

 東京大空襲は、1945年3月10日の陸軍記念日(日露戦争時の奉天会戦に勝利した日)、下町が狙われ、死者は10万人を超えた。『文藝春秋が見た戦争と日本人』より抜粋して引用する。(初出:『くりま』2009年9月号「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」)

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目の前に広がった阿鼻叫喚の世界

 北の方からも、南の方からも、あれよあれよという間にやって来ました。壁のようなとでも言えばいいのか、大波のようなとでも言えばいいのか、とにかくものすごい黒煙と火が一挙に襲って来たんです。そう、炎と黒煙が波打つように、と言ったらいいか。

 もうそれから先は、阿鼻叫喚の世界があるばかりです。つい今しがたまで助かったと思ってのんびりしていた人たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げまどっていました。

半藤一利さんの語り口はやがて熱を帯びていく ©志水隆/文藝春秋

 私は平井橋の真ん中ぐらいまで走って行って、そこで立ち往生してしまう。後から考えれば、橋を渡った先、今でいうところの平井6丁目のあたりはまだ燃えていなかったのです。ところが、その時は被さって来る黒煙があまりにもすごかったので、向こう岸もきっと火の海になっているにちがいないと思ってしまったんですね。橋を渡り切る元気はもう残っていませんでした。

 そういえば、映画『七人の侍』の中で、加東大介演じる武士が言うんですよ。

「戦いというものは、走って走って走り抜くんだ。走って走って走って、走れなくなった時が死ぬ時なんだ。だから最後まで走れ」

 あれは真実だと思いますね。安全と思い、立ち止まったりするとかえってよくない。

どうしたらいいのか、その時橋の下に……

 橋を渡り切ることもできない。かと言って、もう橋のたもとに戻ることもできない。どうしたらいいのか、と思案していた時に、ちょうど橋の下に船がやって来たんです。

 向こう岸の人たちが、川に飛びこんだ人たちを救助するために何艘も船を出してくれたんですね。私は思わず、橋の上からその船に向かって「乗せてくれますか」と叫びました。「おう、いいぞ」と船上の人が言うので、橋桁を伝って下りてポーンと船の上に飛び降りた。