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77年、運命の夏

≪東京大空襲≫「どうしたらいいのか……」生死を分けた一瞬の判断

≪東京大空襲≫「どうしたらいいのか……」生死を分けた一瞬の判断

『文藝春秋が見た戦争と日本人』より#3

2022/08/12

source : 文春ムック 文藝春秋が見た戦争と日本人

genre : ライフ, 社会, 歴史

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 もんどり打って私は川へ落ちた

 これで助かった。やれやれと思っていたら、船の人たちは、川で溺れかけている人たちを懸命に助け出そうとしているじゃありませんか。それを見て、私もわけもわからず見よう見真似で手伝いました。

 船っぺりに左手をかけて、右手を川面に差し出して、助けを求めている人たちをつかまえる。で、私がなんとか船に引き寄せると、船の大人が一緒になって上からヒョイと持ち上げてくれるのです。

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 たしか2人ほど助けたと記憶しています。男だったか、女だったか、大人だったか、子どもだったか、それは忘れてしまいました。

 そして3人目の人を救おうとした時だったと思いますが、ついつい船から身を乗り出し過ぎてしまったんです。助けようとしていたその人は太った中年の女性でした。彼女は溺れそうになっていて、もう無我夢中ですから、私の手を握るのではなくて、肩のあたりにつかまろうとしたんですね。次の瞬間、もんどり打って私は川へ落ちてしまったのです。

水中の中で繰り広げられた生き残るための“つかみ合い”

 川の中は、それはそれは大変でした。たくさんの人々が、ゴボゴボともがいている。溺れかけている人たちはみな、自分が助かろうとして、なんでもいいから傍にあるものをつかもうと必死だったのです。そこここでつかみ合いのような状況が繰り広げられていました。

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 だから、そういうつかみかかってくるような人たちを振り払わないと、こちらが危なくてしようがない。私はこの時、水を2杯飲んだことを覚えています。どうも3杯か4杯、水を飲んでしまうとだいたい駄目らしい。意識を失って溺れてしまうそうです。

 さらに参ったのは、水の中が漆黒の闇でなにも見えないことです。どちらが水面なのか、まったくわからない。この時の恐怖といったらありません。こっちが水面かなと闇雲に泳いではみるのですが、いつまで経っても水面に辿りつけない。そんなことをしているうちに、また他の人たちにつかまれて、水中に引き込まれてしまったりするのです。

 そのうちに、履いていたゴム長の中に水が入っていっぱいになってしまい、両足からストンと脱げてしまいました。それがよかったのです。脱げた2つの長靴がユラユラと川底の方に落ちて行くのが見えました。ああ、こっちが川底だから、水面はあっちだ。あの時の長靴のゆらゆらの光景は今でもはっきりと目に浮かびます。