『日本のいちばん長い日』、『聖断』などのノンフィクションを記してきた半藤一利さんの原点が、自らが体験した1945(昭和20)年の東京大空襲であった。

 東京大空襲は、1945年3月10日の陸軍記念日(日露戦争時の奉天会戦に勝利した日)、下町が狙われ、死者は10万人を超えた。『文藝春秋が見た戦争と日本人』より抜粋して引用する。(初出:『くりま』2009年9月号「半藤少年がくぐり抜けた戦争と空襲」)

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B29は馬鹿でっかい。とんでもなく獰猛で汚い飛行機でした

 それからどれぐらい経ってからだったでしょうか。向島はまだ爆撃を受けていなかったから、界隈はまだ真っ暗なんです。そこにB29が一機、低空で飛んで来ました。

 B29は日中、超高空で飛んでいるところを見ている分には、きれいな機体の飛行機だなあとしか思っていなかったんですが、間近で見ると馬鹿でっかい。あんなにでっかいとは思わなかった。しかも4基のエンジンが油で汚れて真っ黒なのがはっきり見える。とんでもなく獰猛な汚い飛行機でした。

焼夷弾が降ってくる様子を今も鮮明に覚えている半藤一利さん ©志水隆/文藝春秋

 私たちの頭の上をB29が通過して行くのを眺めていたその瞬間です。我々の頭の上で、いわゆる「モロトフのパン籠」と言われていた焼夷弾が破裂したんです。それはもう、鮮やかな破裂といいますか、破裂のその音と同時にザーっと焼夷弾が降って来た。

 あの様子は、どう説明したらいいんでしょうかねえ。土砂降りの大雨なんてものじゃありません。もっととてつもなく大きな物がガラガラ、ガラガラーッと落ちて来るんです。

 それまでおやじと防空壕の上に立って高見の見物を決めこんでいたんですが、2人して本当に防空壕の上から転げ落ちました。周りにはいくつも焼夷弾が落ちたようです。あとで見たら、転げ落ちた場所の2、3メートル先に焼夷弾の筒が一本突き刺さっていました。

 そもそも焼夷弾というのは、大きな籠状の爆弾の中に36発、弾が入っていまして、空中で破裂して中の弾がバラバラバラと降って来るんです。それが地上に落ちて、それぞれ火のついた油脂をまき散らす。