動機が正しければ、何をやっても許されるのか。安倍元首相銃撃事件から振り返るテロの歴史とその教訓――。昭和史研究家・保阪正康氏による連載「日本の地下水脈」の特別編「『テロ連鎖』と『動機至純主義』」(月刊「文藝春秋」2022年9月号)を一部転載します。

濱口雄幸首相を襲撃した佐郷屋留雄

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動機は「私怨」に見えるが……

 7月8日、安倍晋三元首相が奈良県で遊説中に銃撃され、そして死去した。

 私自身は安倍元首相の政治姿勢や歴史観を、どちらかというと批判的な目線で見てきた。しかし、このようなかたちで安倍元首相の命が失われたことは、日本社会のみならず世界にとっても大きなマイナスであり、心より哀悼の意を捧げたい。

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 私は今回の事件を知った時、瞬間的に2つの犯人像を考えた。一つは安倍元首相の憲法改正への執心や安全保障政策などを全否定する極左勢力。もう一つは、そうした安倍元首相の政策と政治手法をむしろ「手ぬるい」とみる極右勢力である。

安倍元首相

 だが、現時点で報道を見る限り、容疑者の動機はどちらでもない。容疑者の母親が統一教会にのめり込んで莫大な財産を献金し、家庭が崩壊したことで、統一教会と関係のあった安倍元首相への恨みを募らせたという。つまり「私怨」が動機で、政治的な意図はなかったという分析がメディアでなされている。

 しかし、政治指導者に対するテロには、それがどのような理由であるにせよ、政治的な意味が内在する。今回も、統一教会(勝共連合)という極めて政治色の強い宗教団体への安倍元首相の関与が引き金になっており、今回の事件に政治的意味はないという指摘は当たらない。その点をまずは押さえておくべきである。

 それと同時に私たちが直視しなければならないのは、歴史的教訓である。

 かつて日本は、政治家へのテロによって国家の運命が大きく変わってしまった歴史がある。昭和5(1930)年から昭和11年にかけては政治テロが頻発し、とりわけ昭和7年2月から3月にかけての血盟団事件、同年5月の五・一五事件は、日本社会を一変させるほどの衝撃を与えた。その結果、政治家たちは暴力に脅えて発言を控え、その延長線上に軍事による政治支配という道筋が敷かれたのである。