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 戦後長らく、政治テロは鳴りを潜めていた。だが、日本社会の底流には、政治テロに影響されやすい思想的傾向が地下水脈として流れていると見てとれる。不幸な歴史を繰り返さないためにも、今一度、近現代史を振り返ってみたい。

いかに「異様な時代」だったか…

 テロとは政治的な目的をもつ暴力、あるいは脅しであり、その多くは公の場で行われる。暴力をあえて大衆に見せつけることによって恐怖心を植えつけ、大衆心理をコントロールするのが目的だからである。

 日本の歴史をみると、江戸時代の約260年間、テロらしきものはほとんど起きていない。幕末から明治維新後の揺籃期は要人の暗殺が相次いだ。だが、権力内部での方針の違いや諍いから暗殺に至ったケースがほとんどで、大衆に政治的メッセージを与えるためのテロはほぼなかった。また、太平洋戦争の敗戦以降はおもに極左集団のテロが起きたが、国家を揺るがすほどの規模のものは起きていない。

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 そのように考えると、昭和5年から11年にかけての日本社会が、いかに異様な時代だったのかが見えてくる。年表的に列挙してみると、以下の通りである。

 昭和5年:11月、濱口雄幸首相狙撃事件(この時の傷がもとで濱口は翌年に死亡)。

 昭和6年:3月、国家主義グループ「桜会」を中心としたクーデター未遂事件「三月事件」。同年10月には「十月事件」。

 昭和7年:2月~3月に「血盟団事件」。前蔵相の井上準之助、三井合名理事長團琢磨が「一人一殺」を掲げる血盟団員に暗殺される。同年5月、「五・一五事件」で、犬養毅首相が殺害される。

犬養毅首相を襲撃した三上卓

 昭和8年:7月、右翼によるクーデター未遂事件(いわゆる神兵隊事件)。

 昭和9年:3月、時事新報社社長・武藤山治が狙撃され死亡。11月に陸軍士官学校を舞台にクーデター未遂事件(いわゆる十一月事件)。

 昭和10年:8月、陸軍の軍務局長永田鉄山斬殺事件。

 昭和11年:2月211日、天皇機関説を唱えた美濃部達吉が右翼に襲撃され重傷を負う。2月26日、「二・二六事件」。