女性は風俗に売られ性奴隷にさせられることも珍しくなかった
食事の量が少ないので、大便は1週間に1回ほどしか出なかった。病気のために漏らしてしまう人もいた。
ちなみに、留置所内にも簡易トイレはあったが、囲いが低く、大便をしようものなら部屋中に匂いが充満してしまう。寒いので窓を開けて匂いを逃がすこともできないため、基本的に皆、小便しかしなかった。
留置所では、特に女性は屈辱的な扱いを受けた。
生理になった人は「お前など人間ではない」と言い放たれたりもした。
女性は中国人との間の子供を妊娠している人も少なくなかった。北朝鮮では外国人との結婚が一切許されていなかったため、当然混血児も認められない。
そのため、そのような女性は最もひどく扱われた。彼女たちは「国を裏切って外国人の子供を孕んだお前など人間のクズだ」と罵倒され、中には殴って堕胎させられることもあったと聞いた。
1990年代半ばの「苦難の行軍」時代に中国に活路を求める脱北者が急増したが、その8割は女性だったといわれる。「一人っ子政策」を推進し、家督を継ぐ男児が望まれ女児は堕胎されることが多かった中国では男余りが起こり、特に農村では嫁不足が深刻だった。そこに脱北した女性があてがわれていたのだ。
ブローカーは女性と女性の家族にはまるで通常の出稼ぎであるかのように言うが、実態は違っていた。
風俗に売られ性奴隷にさせられることも珍しくなかった。人身売買の値段は2000~3000元(1996年のレートで2万6000~3万9000円)、若くて綺麗な女性なら7000元(約9万円)ほどだったという。中には14~15歳で売られわずか16歳で妊娠したり、すぐに強制送還されて産んだばかりの子供と二度と会えなくなるといった悲劇も生まれた。韓国に定着後、子供を呼び寄せる女性もいたが、それはまだ幸運なケースだ。