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2022/08/10

 もっとも、このころにはすでにテレビでも、NHKの朝ドラ『まれ』(2015年)などに出演し、一般にも広く知られるようになっていた。麦茶のCMに出演し、「門脇麦、本名です」とその名をアピールしたのもこのころだ。

「反対するんだったら、ニートになります」

 父親の仕事の関係でニューヨークに生まれた門脇は、5歳で帰国したあと、クラシックバレエを習い始めた。しかし、彼女に言わせるとバレエは、手足の長さなど《生まれ持った体が実力の80%くらいを占めてる》世界で(※2)、しだいに自分に限界を感じるようになる。中学生ぐらいになると、周囲の子たちは海外に留学に行ったり、バレエ団に所属していた。焦った彼女は、自分も早く「何者か」になりたいという気持ちが募り、別の武器を見つけようと模索する。そのなかでミニシアター系の映画も見るようになり、そこで自分と同い年くらいの女優が仕事をしているのを目にして、「芸能界ってこんなに若いときから仕事ができるんだ」と思い、俳優業に自分の道を見出した(※3)。

©文藝春秋

 小さいころからバレエの発表会などで舞台に立つことには恐怖心はなかったので、まず舞台から攻めていこうと、高校の3年間は、ボイストレーニングに通ったり、ミュージカルで使えるようなシアター系のダンスやタップダンスなど幅広く練習した。

 しかし、両親は芸能界入りに猛反対する。当初は大学受験するつもりでいた彼女だが、いま踏ん切りをつけねば間に合わないと思い、両親に受験はしないと宣言、「反対するんだったら、このままニートになります。だから許してください」と説得して、押し切ったという(※3)。自分に合っていそうな芸能事務所もリサーチして履歴書を送った。そこで彼女に目を留めたのが、現在も所属するユマニテである。

『あのこは貴族』(2021年)

「思考型」の役作り

 芸能人には、スカウトされたとか、周囲の人がオーディションに応募してくれていたとか、どちらかというと受け身の形でこの世界に入ったパターンも目立つ。そのなかにあって、ここまで用意周到に計画して俳優になった門脇は珍しい存在かもしれない。もともとバレエをやっていたころから、先生から注意されるたび、ノートに書き出しては、いかに効率的に改善するか方法を探るようなタイプだったという。俳優になってからも「効率重視」で「思考型」だと自分を分析している(※4)。

 役作りにあたっても、計算はいかんなく発揮された。岸善幸監督の映画『二重生活』に出演したときには、演技のなかで自分を出す度合いを角度で表しながら次のように説明していた。