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《例えば360度全部が自分だとして、その中のいろんな要素を使って、90度くらいの部分で役を作る。切り取る側も、私の中の90度だけを見て、切り取ってくれる撮影手法が一般的だとすると、岸さんのやり方ではそれが許されない。360度全てを映されてしまうんです。(いつもなら事前に確認しておきたい)疑問点や不安な感情も、意思疎通して90度の部分しか見えなくなってしまうのは、今回は違うなって思っていました。いろいろな切り取り方のできる、余白を残しておきたかった。実はそれは普段から自分が目標にしていることなので、ものすごく嬉しかったですね》(※5)

 ここでも出てくるように、デビュー以来、彼女は常に目標を持ってストイックに作品に取り組んでいた。しかし、まだまだ実力が十分でないのにがむしゃらになるあまり、やがて壁にぶち当たる。肉体的にもかなり無理をしていたのだろう、急性喉頭蓋炎と診断され、手術を受けた。それでも、1週間入院しながら考え、なぜ自分がこの仕事をしたかったのか改めて立ち返ることができたという(※4)。

『二重生活』(2016年)

「完全に私自身の私生活で決まってくる」

 さらに転機となったのが、楳図かずお原作のミュージカル『わたしは真悟』(2016~17年)で、フランス人演出家のフィリップ・ドゥクフレと出会ったことだ。それまで彼女が携わってきた創作現場では、楽しみながらというよりも、苦しみから生まれるものが良しとされるようなところがあった。これに対しドゥクフレからは、リラックスした状態で生まれるクリエイションも素晴らしいということを教えられ、《『あ、こんなに仕事って楽しくていいんだ。ストイックにならないと豊かな感情は生まれてこないと思い込んでいたなぁ。少し、頭でっかちになりすぎていたな』ということに気づかされた》という(※6)。

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 それからというもの、心地いい仕事への取り組み方がわかってきて、変な力みもなくなっていったらしい。また、俳優の表現は、現場だけでなく、普段の生活からも培われるものだと気づき始めた。最近のインタビューで「愛する」という表現について語った次の発言からは、そんな考え方の変化がうかがえる。

《お芝居でいうと激しい愛でも穏やかな愛でも、使う言葉や肉体表現、瞬発力や表現の大小が違うだけで根っこのスイッチは一緒な気がします。愛の種類よりも発動スイッチがいかに深くて大きいかのほうが大事なのかなと思います。その深さや大きさは、今まで自分が生きてきた全部によって決まってくるから、自分で深くしようと思ってできるものじゃない。自分がどれだけ真剣に物事に取り組んできたかにもよりますよね。だから、その表現は役じゃなくて、完全に私自身の私生活で決まってくる。子供を産んだら、もっと深くなるんでしょうし、新しい出会いや別れによっても育ってくる。どういう表現がしたいかというよりは、自分の生きていく人生の中で、そのスイッチをどう深められるかに尽きるのかな》(※7)