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待ちに待った國保と会うチャンス

 2022年4月、私は大船渡に滞在し、國保と会うチャンスを待っていた。國保とは個人的な連絡はとることができず、学校も國保に取り次いではくれなかった。ならば、アポなしであっても、國保がいるかもしれない場所に向かうしかない。私は大船渡が練習試合をすると聞けば試合会場に足を運んだ。

 これまで対面するなかで、國保が私のSNSを見ていることは勘づいていたため、「今、大船渡にいる」「今、駅前の○△という店で食事している」などと発信し、それを見た國保が急に姿を現してくれることを密かに期待していた。でも、待ち人は現れなかった。

 ようやく再会を果たせたのは、4月29日の春季岩手大会沿岸南地区予選が行われた平田公園野球場だった。

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現在は副部長として野球部を支える國保陽平氏(写真:筆者撮影)

「去年(2021年)の夏に、監督を退任して副部長となりました。僕は毎日、自宅から片道3時間かけて大船渡に通勤しているんです。(盛岡第一)高校時代に僕自身が、監督が3人交代する経験をしている。それは生徒にとって、不幸でしかないですよね。

 高校野球の現場は、しっかり腰を据えて指導ができる教員こそ監督に相応しいと思っています。新しい(新沼悠太)監督は学校の近くに住んでいて、生徒たちの練習にもずっとついてあげられますから適任です」

 騒動の直後、学校には苦情の電話が殺到した。甲子園を目前にしながら、佐々木を登板させず、敗退してしまったことから、野球部のOB会からは解任を求める動きもあった。

 そうした声によって、國保自身が野球から離れたくなったのではないか――。あの騒動が監督退任の引き金となったのなら、これほど不幸なことはない。

「『野球が嫌いになりました』と言ってほしいのかもしれませんが(笑)、それはまったくありません。苦情の電話に関しては、学校は大変だったと思いますが、僕自身を守ってくださいました。解任の動きについても、母校が負けて喜ぶOBはいません。だから、僕自身はさほど気にしていませんでした。

 OBの方々も、勝ってほしいから、応援してくださっている。同じ指導者が同じ指導方針で選手を育てて勝てないのなら、指導方法を変えるか、監督を代えるか、どちらかになると思います。それは会社の経営と同じだと思います」