現代社会では、LGBTQやジェンダーフリーへの理解が広がり始めている。しかし、日本に古くから存在した“男性特権”の享受を受けてきた中年男性は、その変化に対応できず、批判にさらされることが多い。だからこそ、「父性」や「男性性」に対する価値観を見つめなおす必要があるのではないだろうか。
ここでは、ライター・編集者の木津毅氏が「おっさん好きのゲイ」という立場から、国内外のポップカルチャーをヒントに新しい時代の「父性」「男性性」に迫った著書『ニュー・ダッド ――あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)の一部を抜粋。大人気料理漫画『クッキングパパ』で描かれている「新しい中年男性(おっさん)像」について紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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「おっさん」と「あたらしさ」を両立させる『クッキングパパ』
「あたらしいおっさん」なんてものをブチ上げてみたものの、この国に当てはめて考えてみると案外思いつかないものである。たとえばファミリーものの有名漫画をいくつか考えてみても、あの親父は家庭内の振る舞いがわりと旧来的な性役割そのままだなとか、あの父ちゃんは若い姉ちゃんに鼻の下伸ばしてばっかりだなとか、どうも「これだ」と確信できるおっさんがいない。
「おっさん感」と「あたらしさ」が両立しているのがニュー・ダッド(編注:書籍内で表現される、新しい時代の中年男性の呼称)なので、平均的な中年男性像が「父」に採用されやすい日本の家族ものでは、なかなか「あたらしさ」は出てきにくいのかもしれない。
……いや、ひとり挙げるならあの男しかいない。あの男はずいぶん長い間この国にいたが、思うにいまも「おっさん」と「あたらしさ」を両立させている。クッキングパパである。
説明不要だろうが、『クッキングパパ』は連載が35年以上続いている長寿グルメ漫画。見た目はいかつく無骨だが、料理が得意で家庭的な男・荒岩一味を中心とした家族模様・人間模様が温かく描かれる。
連載が開始した80年代なかばから一味はサラリーマンをしながらゴリゴリに家事・育児をこなしており、当時としては圧倒的に「あたらしいおっさん」としての存在感を放っていたと思われる。『クッキングパパ』というタイトルがそのまま目を引くキャッチコピーになるのは、「パパはふつう家庭で料理をしない」という前提が長くこの国には存在したからだろう。そしてそんな彼の姿は、現代においても男性が家事をするときのひとつの指針になりうるのではないだろうか。