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 ……という分析は別にして、正直、僕は男性として一味に魅力を感じている。広い肩と背中(脱ぐとけっこうなマッチョ&胸毛)が醸す、圧倒的な包容力。逞しすぎるアゴが支える、穏やかな笑顔。とてつもない料理の腕と、それを家族だけでなく、ありとあらゆる人びとに分け隔てなく振る舞う大らかさ。僕にとってはチャラチャラ遊んでそうな不良オヤジなんかよりも、断然色っぽいのである。いやあ、海の向こうに頑張って探さなくても、この国にもこんなイケダッドがいたんですなあ。

あらためて振り返る『クッキングパパ』の魅力

 とはいえ、僕は子どもの頃観たアニメの記憶が断片的に残っていたり、ときどき連載を読んだりしていた程度のぬるいファンなので、あらためてはじめからまとめて読んでみることにした。巻数にして154(2020年9月時点)。さすがに僕が赤ん坊の頃からやっている連載だ、とんでもない量である。これは大変なことになるぞと覚悟して読み始めたのだが、これが不思議とほとんどノンストップで楽しめてしまう。お、おもしろい……。

大人気料理漫画『クッキングパパ』(モーニング公式サイトより)

 とにかくページをめくってもめくっても料理が作られ、大いなる喜びとともに分かち合われる。料理に次ぐ料理。喜びに次ぐ喜び。一味を中心とする人びとの繋がりが30年以上かけて「クッキングパパ・ユニヴァース」を生み出し、ありとあらゆる人間の人生の問題はすべて料理によって解決していく……。

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 その繰り返しの心地よさ。あふれ出すポジティヴ・フィーリング。ああ、ここで描かれているのはグルメを巡る一種のユートピアなんだと、僕はほとんどサイケデリックな体験として『クッキングパパ』を読み続けたのだった。

 何より一味の魅力、というかパワーがすごい。新聞社で働く妻・虹子は当初料理下手であったこともあり、荒岩家ではおもに一味が料理を担当しているのだが、自分だって忙しい会社員である。

 昼間は会社でバリバリ働きながら、家族のために家事もバリバリやってのけるスーパーマンなのだ。残業の合間にバイクを飛ばして一時帰宅し、子どものためにチャチャッと夕飯を作り、またバイクを飛ばして会社に戻って仕事をする、なんてこともあるハイパーぶりだ。

 それに、一味の料理に対するこだわりは一般的な料理好きの域をはるかに超えている。馴染みの店の厨房に入って独自のアイデア料理を振る舞うなんてことは当然のこと、はじめて入った店で(海外でも!)キッチンを借りてプロ顔負けの料理を披露することさえある。素朴な家庭料理からオリジナル・スイーツ、豪勢な宴会料理もウェディング・ケーキだって作ってみせる。

 僕がとくに好きなのは、タフな一味が珍しく二日酔いになっているのを押して、2日がかりでコンソメスープを作る回だ。肉や野菜を豪快にたっぷり入れたスープは最終的に透明に輝く液体へと昇華され、それを味わった妻・虹子も息子・まこともあまりの美味に恍惚の表情を浮かべて「ああ……」としか言えなくなってしまう。いや、それ、料理好きなお父さんとかそういうレベルじゃないから!

 だから、『クッキングパパ』を現実に家庭での家事分担の話に置き換えたとき、なかなか一味のようにはいかないというのがふつうだろう。ひとによって家事にも得意不得意はあるし、体力的にも時間的にも余裕がないというひとや家庭も多い。もちろん経済的な問題もある。料理に毎度手間暇をかけるなんてことは、なかなかできるものではない。