現代社会では、LGBTQやジェンダーフリーへの理解が広がり始めている。しかし、日本に古くから存在した“男性特権”の享受を受けてきた中年男性は、その変化に対応できず、批判にさらされることが多い。だからこそ、「父性」や「男性性」に対する価値観を見つめなおす必要があるのではないだろうか。

 ここでは、ライター・編集者の木津毅氏が「おっさん好きのゲイ」という立場から、国内外のポップカルチャーをヒントに新しい時代の「父性」「男性性」に迫った著書『ニュー・ダッド ――あたらしい時代のあたらしいおっさん』(筑摩書房)の一部を抜粋。若者から煙たがれらる「中年男性=おっさん」は、これからどのように変わっていけばいいのか。ドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』をヒントに、世代間のフラットなコミュニケーションについて考える。(全2回の1回目/2回目に続く

写真はイメージです ©iStock.com

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SNSで噴出する「おっさん」批判に対する複雑な気持ち

 僕調べで「おっさん」への批判がもっとも噴出しているSNSはやはり何と言ってもツイッターだが、とあるバズったツイートがタイムラインに流れてきて、たいそう複雑な気持ちになったことがあった。そのまま引用しないけれども、要約するとこうだ。

「40歳を過ぎたおっさんは若者にアドバイスするな」

 うーん、たしかに。そうね……そうかもね。うーん、いやあ、でもなあ……。

 いや、言いたいことはよくわかる。40歳というのはあくまで目安であって、おそらくツイート主にとっての「おっさん」の境界線なのだろう。で、たしかに多くの若者からすれば、往々にして上から目線だったり、ピントがありえないぐらい外れていたり、「それ結局あなたの思い出語り(「俺がお前の年の頃は……」)ですよね?」だったりするおっさんのアドバイスほどウザいものはない。

 そのツイート主のさらなる注釈によれば、「求められるまでアドバイスするな」というのも重要なポイントのようだった。なるほどね。

 僕はたとえば、飲みの席なんかで年上の男性の──「40歳を過ぎたおっさん」の持論や武勇伝なんかを聞くのも、そのひとの生き方やポリシーの一端が見えるようでけっこう好きなのだけど、それはまあかなり特殊なタイプなんだろうと自分でも思う。

 それにかなり長い期間フリーランスでフワフワやっている僕は、組織のガチガチの上下関係になんだかんだ投げこまれずに済んでいることもあるかもしれない。というようなことを、営業をやっている友人に話すと「いや、お前は周りのひとに恵まれてるんだよ」と言われた。そいつの目は笑っていなかった。……なんかごめん。