おっさんのアドバイスがウザいと感じる理由
おっさんのアドバイスがウザいのは、ずいぶん長い間、年長の男性の発言はそれが多少理不尽であっても的外れであってもありがたく聞き入れなければならないとされてきたからだろう。だから話者はそこにどれくらい中身があるか気にしなくていい。家庭でも組織でも、家父長制がさりげなく、しかし確実に幅をきかせてきたのはこういう部分だ。
だが風向きは変わってきた。おっさんがおっさんでいるだけで話を聞いてもらえる時代は過ぎようとしている。彼らがあらゆる部分で世間的な感覚からズレてきていることは、本書でもすでに書いてきた。だから、それこそSNSなんかでおっさんが糾弾されているのを見て内省する中年男性も増えただろうし、現実的にその場で言い返せなくても内心小馬鹿にしながらスルーしている若い世代もたくさんいるに違いない。
ジェンダー関連で言えば、女性のほうがよく知っている事象に対して、聞いてもないのになぜか男性が(偉そうに)説明する現象に「マンスプレイニング」と名前がつけられ、その言葉が多くの共感とともに広がったのは象徴的だ。おっさんのアドバイスは「ありがたく聞かなければならないもの」から「たいていの場合、ただウザい(から、真剣に聞かなくてもいい)もの」へと共通理解が進みつつある。
「おっさんは若者にアドバイスするな」はすごく後ろ向きな解決策
だけど「アドバイスするな」は、僕がおっさん好きであることを抜きにしてもちょっと寂しい。たとえば経験の差がある年上の人間が何か気づいたとき、助言したくなるのは自然なことだし、それがまったく役に立たないとは限らない。軋轢を避けるためとはいえ、コミュニケーションにおいてはすごく後ろ向きな解決策だと思うのだ。
そもそも育ってきた時代や環境が違うのだから、価値観が異なるのは当然だ。受け手からすると、理解できなかったり的外れだったりすることもあるだろう。それでも伝えたいことがあったとして、「ウザいこと」はアドバイスする側・される側双方にとって何よりも避けなければならないことなのだろうか。
だけど、僕は最高にウザくて最高にチャーミングなおっさんを知っている。トニ・エルドマン氏である。
誰? って感じだろうけど、2016年のドイツ映画『ありがとう、トニ・エルドマン』に登場するキャラクターだ。微妙な関係にある父娘の交流を描いたコメディで、カンヌ国際映画祭で無冠に終わると大ブーイングが起きたほど世界的に評価された作品である。個人的にも2017年に日本で公開された作品のなかではベストな1本だ。そこでは、おっさんが「ウザいこと」自体がなにか愛おしいものとして立ち上がっている。