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SNSで若者に嫌われる40歳過ぎの中年男性…それでも「おっさんたちが『ウザいこと』を恐れるべきではない」理由

『ニュー・ダッド ――あたらしい時代のあたらしいおっさん』より #1

2022/08/23
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 仮に「もっといい人生を送ってほしい」という父からの率直な想いを告げたとして、それは娘からは求められていないアドバイスである。それに時代が違うから、かつてと同じような信念で生きられるわけでもない。もちろん、父はそのことを痛いほどわかっている。だけど娘を愛しているからこそ心配してしまう。ではいったい、どうすればいいのだろう……これは非常に現代的な問題である。

おっさんはときに、ウザくならねばならない

 しかし、ヴィンフリートは諦めない。後日、イネスが女友だちふたりと豪華なレストランに集まり、「この間パパが急に来てさー、人生訓語られたりしてマジでウザかったわー」(←僕の意訳)と愚痴っていると、ドイツに帰ったはずの父が唐突に現れる。しかも、ヘンテコなカツラと入れ歯をつけて。

「はじめまして、わたしはトニ・エルドマンです」

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 あろうことか、父はさらにウザいおっさんに変身してやって来たのである。しかも、上司と会っているときや仕事絡みのパーティに現れるので、イネスも話を合わせるしかない。「エルドマン氏は人生コンサルタントをされているんです」。……人生コンサルタント! なんとも皮肉のきいた職業名だ。

 その後、父とふたりになった娘は「パパは異常よ!」とブチギレ。当たり前である。けれども、成りゆきでトニ・エルドマン氏はさらに娘の行き先について来ることになる。

 うさん臭いおっさんに変装するのはもちろん本作がコメディだからというのもあるが、ここでのポイントは、トニ・エルドマンという架空の人物をでっち上げることで一度「父」「娘」という社会的な役割をリセットしていることだ。「父」だからこそ言いにくいこともあるし、「娘」だからこそ反発してしまうこともある。だけど、もしかすると「人生コンサルタント」の意見ならもっと気軽に聞けるのかもしれない、というわけだ。

ウザいおっさんに変身して、娘の行き先についていく (『ありがとう、トニ・エルドマン』公式Facebookより)

 それに、ヴィンフリートはその過程を通して実際に彼の足と目で娘の人生、娘の生きる時代を理解していく。イネスが解雇せねばならない労働者が働く現場にのこのことついて行き、(当たり前だが)自分に何もできることがない事実に直面する。それは娘が心を失っていく現場を目の当たりにするようなものだ。

 知り合ったばかりの他人のホームパーティにいっしょに乱入するくだりも面白い。父は娘に、そこでいろいろなひとと「人間的な」交流をするように促す。しばらくすると彼女が帰ろうとするので、「では、お礼に歌のプレゼントをします」とピアノを弾き始め、歌わずに済まされない状況に追いこむ。気が進まないものの、意を決してホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love of All」を大熱唱するイネス! きっと父娘にとっての想い出の一曲なのだろう。

 一世一代の熱演のあと、しかし、イネスは何も言わずに去っていく。うなだれるヴィンフリート。映画中、もっともおかしく、もっとも切ないシーンである。