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『ありがとう、トニ・エルドマン』が描いた「世代間の価値観の衝突」

 主人公父娘の父ヴィンフリートは引退した音楽教師で、離婚したのち愛犬とつましい生活を送っている初老の男性。映画が始まってすぐ、宅配便が届いたときに実在しない「双子の弟」に変装して現れるシーンが用意されているが、つまりよくわからないジョークやおふざけが大好きな、周りにいたらまあまあ面倒くさいおじさんだ。

 一方の娘イネスは30代なかばの仕事人間で、グローバル企業でコンサルタントを務めている。家族の集まりでも、親戚と話すよりも仕事の電話をしている振りをしているほうが楽に感じる性格だということが序盤で描写される。

 つまりふたりは、人生に対する価値観が違う。「稼ぐ」ことを重視していなかったため、結果的にヴィンフリートは孤独な老後を送っているが、あまりにも仕事に身を捧げる娘の生き方を内心で心配している。

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 あるとき愛犬が死んでしまい、最後の教え子も見送って、寂しかったのかヴィンフリートはひょっこり娘が働くルーマニアのブカレストにやって来る。しかも彼女の職場に。仕方なく父を仕事関係の集まりに連れていくが、当然のことながら彼は大口の取引が交渉されるビジネスの場に馴染まない。

 そして、客として訪れたマッサージ店のスタッフに傲慢に振る舞ったり、取引先の顧客にわかりやすく媚を売ったりする娘に対して、「お前は人間か?」と口走ってしまう。当然イネスはいい気がしない。「じゃあパパにとって幸せって何?」。父は答えられない。

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『ありがとう、トニ・エルドマン』はコメディ映画だが、じつは現代社会を見事に風刺しているとして評価された作品である。イネスが働いているグローバル企業は、EU加盟国のなかでも経済的な立場が低いルーマニアに対して搾取的なビジネスをおこなっている。そこでコンサルタントとして働くイネスは「汚れ役」として、効率化のために現地の労働者を大量に解雇せねばならない。

 彼女が「人間的な」心を失っているのは、無意識に罪悪感から自分を守るためでもあるだろう。そして、「人間的な」自由を求めて生きてきた父はそれに対して的確な言葉が見つからない。この対比は、監督のマーレン・アデいわく「世代間の価値観の衝突」を意識したものだそうだ。