「あのコにも僕を刺す理由があった」
琉月さんは1999年、栃木県那須烏山市で生まれた。一家が離散したのは小学生の時だった。兄弟は別々の施設に預けられ、中学を卒業後は建設関係の職人として働くも、人間関係がうまくいかずに退職し、一時期は家もお金もないホームレスになっていたという。そんな彼を“拾って”くれたのが、同席している光琉さんだった。
「光琉さんは去年(2018年)の11月、面接に行った時から、すごくよくしてくれて、ご飯を食べさせてくれたし、寮にも住めるようにしてくれた。入院中には同僚たちと一緒に毎日お見舞いにきて、“お酒が飲めないなら俺たちが代わりに飲んでやる”って言ってくれて、もう一度戻りたいなって思いました」
隣では、光琉さんが心配そうに見つめたり、ときには神妙な面持ちでうなずいたりしているものの、話の途中で自分のスマホに見入ったりと、第一印象とは違い、何か、どこかがズレている。光琉さんは、琉月さんの話にあいづちをうちつつ「うちなんて三流店です。恥ずかしい話ですが、僕も、お客さんに“掛け”(※売掛。ツケで飲食をすること)をトバれたことがありますから……」と自嘲する。
琉月さんは何度も「この店で初めて“自分の居場所”ができた」と繰り返す。高岡とのことについて聞くと、無言で考え込んだのちに、「あの子の中にも僕を刺す理由があったと思う。ホストを始めて1年足らずの僕が営業成績を出せたのはやはり彼女のおかげでもあった。そういった彼女の“頑張り”に、僕が報いていなかったのかもしれません……」と振り返り、「恨みはない」と話すのだった。
事件をきっかけに琉月さんの人生には、大きな変化が訪れていた。
「病院に運び込まれたあと、連絡先がわからなかったことから、警察が肉親を捜してくれたんです。それで、音信不通だった兄と姉に会うことができました。5年ぶりに会った2人は、全然変わってなくって“生きててよかった”って、言ってくれました。今後は兄や姉と連絡が取れるようになったのは、すごく嬉しい」
取材後、琉月さんに「傷を見せてもらえないか」と聞くと「写真はだめですが……」と、微笑みながら、シャツをまくりあげた。体に十文字状に走った傷は、縦は正中線にそって胸の真ん中からへそ下まで、横は下腹部を横断するように切られている。深く刺された肝臓部分は、まだ大きくへこみ、縫合のあとが赤いみみず腫れになっていた。
明るい笑顔に反して、傷は想像以上に大きく痛々しいものだった──。