ホスト復帰後、ワイドショーなどに出演した琉月さんには「刺されたことを利用している」「どうせ刺されるようなことをしていたんだろう」と、SNSを中心に大バッシングが巻き起こった。ただ、琉月さんにも偽悪的なところが多々あり、「こんど来るときにはお弁当を作ってきてほしいな」と、あどけない様子を見せ、取材には「男女関係は決してなかった」と言い切っておきながら、インスタライブでは「(高岡と)寝てました」と笑いながら明かしたり、“枕(※客と肉体関係を持つこと)ホスト”をアピールしたりと、迷走しているようにも見えた。
琉月さんにしてみれば、自ら事件を逆手にとり「炎上商法」をしかけたつもりなのだろうが、まだ幼さの残る彼には、それは手に余っているように見え、ときには、私に声を荒げて「なんで、俺、そこまで叩かれるのかなぁ。俺、被害者なんだよ?」と話すこともあった。
「被害者は一体誰なのか」痛々しすぎた初公判
取材後の裁判もまた、痛々しいものだった。
事件から約半年が経った同年12月3日。東京地方裁判所で高岡の初公判が開かれた。その日は雲一つない快晴で、コートを着ていると汗ばむような暖かい日だった。朝9時すぎ、地裁前には傍聴券をもとめる長い列ができていた。
東京地裁818号室に入ると、後ろの席には、ロングの茶髪にパンクロッカーのようなスタイルでキメた、琉月さんの店の店長・柊(ひいらぎ)さんが腰を下ろしていた。しばらくしてドアが開き、白いトレーナーに高級そうなダメージジーンズのいかにもホスト然とした背が高い男性が入ってくる。店のオーナー・相澤直樹氏だ。相澤氏は、被告人親族席に座ろうとすると、「そこじゃない」という風に係員に促され、苦笑いしながら別の席に着いた。
午前11時。公判が開廷した。
法廷に現れた高岡被告は、セミロングの茶色い髪をおろし、大きな眼鏡に黒いスーツ、薄い水色のブラウスというスタイル。終始うつむき気味で、起訴内容を蚊の鳴くような声で、「間違いありません」と認めた。
琉月さんも、証人として出廷した。あくまでも清楚で反省しきりの様子の高岡に対し、琉月さんはシルバーアッシュに染めた髪の毛に、片耳には大きなピアス、目にも鮮やかな紫色のパーカーという“歌舞伎町仕様”だ。琉月さんが法廷に入ってくると傍聴席からは高岡被告が入廷した時よりも、はるかに大きなどよめきが起きた。
証人尋問で裁判官から、「職業は」と聞かれると琉月さんは間髪いれず、「ホストです」と答える。場内にはまた、ざわめきが起きた。
「付き合ってはいた?」「いませんでした」
琉月さんがこの初公判に向けて、何か対策や準備をしていたとは、入廷したときの服装からしても思えない。彼は検察や、高岡の弁護士に問われるままに、素直にありのままの回答をする。たとえば、こうだ。
──肉体関係はあった?
「はい」
──付き合ってはいた?
「いませんでした」
──肉体関係はあっても、付き合ってはいなかった。それでも一緒に住む約束はしていた?
「はい」
──高岡さんは月にどのくらい使っていた?
「数百万円です」
聞かれるがまま、高岡のおかげでナンバーワンになれたこと、高岡が事件を起こしてからは、その座を失ったこと、通常の治療費のほか、後遺症が出たり、他の治療に費用がかかる場合は、その分も支払うという取り決めを交わしたことなどを話すのだ。
琉月さんは、ただ、質問されたことに答えただけにすぎない。
しかし「夜の常識は昼の非常識」という言葉がある。いわゆる「夜職」といわれる水商売の世界での「社会通念」は昼の世界では通用しないという意味だ。琉月さんや、傍聴に来ていた彼の“上司たち”にとっては当たり前のこととなっているのであろう「若い女性が男性ホストにひと月、百万単位の大金を貢ぐ」ことや「肉体関係があっても“交際”をしているわけではない」「だが、一緒に住む」ということは、歌舞伎町の“外”の人間である、法廷の傍聴人たちや、裁判員裁判の一般裁判員には驚くべき内容であり、“受け入れがたい異様なこと”なのだ。そして琉月さんは、おそらくそのことに気付いてはいない。しかしすでに法廷内には、ただ、うなだれる高岡に同情的な雰囲気が漂っていた。
最後に琉月さんは、減刑を求める嘆願書を提出していること、500万円の示談金及び被害者との接見禁止、歌舞伎町に近寄らないことを約束し示談が成立したことを明かした。証人尋問を終えると、琉月さんは法廷を出た。
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